田舎の魅力とは何なのか、あと唐辛子の種でえらい目にあった話

よく「自然はいい」と言いますけど、実際に暮らしてみると、古民家ではネズミに悩まされ、ヤモリは出るわムカデは出るわ、最寄りのスーパーに行くのにも車で20分もかかるし、大阪にいたころとはえらい違いです。

外に出たらマムシもいればヤマカガシもいます。畑の野菜はサルに食われるし、ちょっと油断したらイノシシもシカもやりたい放題。秋になったらクマも出ます。

「クマは引き戸くらいやったら開けよるで」

などとご近所さんから脅されて、生存権が脅かされるような気分になることもしばしばです。

でも不思議なもので、それでも田舎はいいなあ、と思うんですよね。

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自然はすべてを分解する

田舎の良さとは何なのか。

ほかの生き物に自分の生存権を脅かされ、不便で、ご近所さんとの付き合いは密であり、因習的でもあります。

都会のドライなところと比べたときに、面倒だな、嫌だな、と思うことを挙げればキリがないのに、それでも魅力が勝るのはなぜなのか。

考えてみると、それはこの土地の人間社会が、自然の循環に組み込まれてることを、ぼくが楽しんでるんだろうなあ、ということに気づきました。

自然は循環しています。

山には木々や草花があって、土中の無機物となった養分を吸い上げます。この木々や草花に虫や小動物が宿り、それらをエサとする動物もいます。

木々もまたそれ自身が落ち葉や朽ち木となって、有機物として堆積します。また動物のフンも有機物ですね。これらは微生物のエサとなって分解され、土になる。

こうやってできた土を人間が野菜作りに利用します。また山々の地形の妙によって成り立った水たまり(池や湖)を利用して水路を作って、田んぼを作ったりもします。

人間社会のルールの中で、当たり前のように周囲との付き合いは密になり、因習的にもなり、自治を成立させます。

人間社会は自然のサイクルをねじ曲げるようなところがありますけど、田舎にいると、自分はやっぱり土の上にあって、自然の中にあって、このサイクルの中に確かに存在しているのだ、ということがよくわかります。

そして最終的に自然はすべてを分解します。もちろんぼくという人間もまた、いずれはこの世で生きる役割を終えて、有機物となって、分解されます。

といってもわれわれは死んでしまったら、基本的には焼かれてしまいます。肉体は蒸発して炭になるわけで、自然そのものの循環システムにダイレクトに組み込まれることはないんですけどね。

なんだかとりとめがなくなりそうですが、都会にいたときにはわからなかった「自分という人間の自然の中での立ち位置」が田舎になると明確になって、それがぼくにとってはとても心地いいわけです。

今日の画像

げきからとうがらし

これは何かといいますとね。

げきからとうがらし

この、唐辛子の種であります。

この唐辛子、青い状態のを利用する品種なんですが、なにせめちゃくちゃ辛い。

この唐辛子で作った柚子胡椒は、ほとんど殺人的な辛さに仕上がります。一週間ほどすれば辛みが落ち着いて、食べられるようになるんですが、作ってすぐに食べると後悔するほどです。

調理するときも、マスクと眼鏡、ゴム手袋が必須です。これ、決しておおげさに話しているわけではなく、本当にしっかり装備しないと、後悔することになります。

で、この唐辛子を今年も育てるわけですが、自家用ですから多少交配しててもいいや、と今年は去年の種を使うことにしました。

で、赤く乾燥した唐辛子を不用意にも素手でパカッと割って、種を取り出したのが先ほどの写真。

……。

ほどなく、くしゃみが止まらなくなりました。まるで花粉症の時のように、ひっきりなしにくしゃみが出ます。

なんでこんなにくしゃみが出るんだろうと思ったら、今度は手が熱く、痛くなってきました。

そこでようやく、「あ、やっちまった」と気づいたわけです。

もう時すでに遅し。手は腫れあがったように痛みだし、くしゃみは延々止まらず。

仕方ないので、ペーパーポットに播種するまでがんばったんですが、たった4つの唐辛子でえらい目にあいました。

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