大往生の祖母を思う

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祖母が亡くなりました

95歳。大往生ですね。

祖母の晩年は認知症がありました。

性格的には穏やかだったのですが、人一倍心配性なところもある人でした。お金に関してもきっちりしていて、それは生涯変わりませんでした。

認知症になって老人ホームに入所してからも、職員さんやほかの入所者さんと一緒におしぼりを巻くのを手伝うのを、「仕事だ」と言うのです。

まわりには工場があって、おしぼりもそこから持ってきていて忙しいのだけど、お給料がぜんぜんでない、というのが祖母の物語で、ぼやきなのでした。

実際には、施設のまわりには工場はありませんし、おしぼりは施設の中で洗って、あたためて、くるくる巻いていたのです。

祖母は大阪の準工業地域に住んでいて、まわりには家内工業をしている家がたくさんありましたから、そのころのことと一緒になっていたのでしょう。祖母もまた祖父と一緒に家内工業に携わっていたのです。

晩年の祖母は物語と現実の境界がなくなっていたようでした。

施設の中で殺人事件が起きたとか、夜中に知らない人がずっと凝視しているといった、おそろしい物語も聞きました。

そこまでひどい妄想になったのは数年前に脳梗塞を患ってからですが、施設に入所する前は、お金がなくなったりものがなくなったといって、その物語をリアルにするための物語を作っては、「あの人が犯人だ」と決めつけて、家族が無用に問題に巻き込まれることもよくありました。

ぼくも最初はよくわからなかったのですが、こういった状況は「物盗られ妄想」といって、認知症ではよくあることなのだそうです。

ぼくたち家族は当初、こういった祖母の物語を「嘘をついている」と断じて怒っていたのですが、徐々に認知症についての理解が深まるにつれて、上手に聞き流せるようになりました。

晩年の祖母には何かと手を焼いたという印象が残りますが、認知症になる前の祖母は、細腕でたくましく、家族のために一生懸命がんばるやさしい人でした。

芯がしっかりしていて、いかにも昔ながらの大阪の女性といった趣のある人でした。家族は祖母の芯の強さに対して「大正の女は強いんやなあ」と感心していました。

ああいったしたたかさは、太平洋戦争の中で二十代前半の青春時代を過ごし、そこから激動の時代を生きてきただけあると思います。

ぼくが子供のころ、祖父母の家に行くと、祖母はいつもおはぎを作ってくれました。祖母の作るおはぎは、今でも家族が集まったときに思い出話として出てきます。

いわゆるはんごろしのおはぎで、もち米とうるち米を混ぜたご飯に餡子を包んで、さらにきなこをまぶすといったものでした。

今考えると独特な味わいのおはぎでしたが、祖母の葬儀のときに、父から祖母のルーツが徳島県にあると聞いて、合点がいきました。

はんごろしのおはぎは徳島県の郷土料理なのです。ぼくたちは祖母から徳島県の味を、知らず知らず伝えてもらっていたのでした。

人に迷惑をかけることを嫌って、できる限り自立した生活を送っていた祖母は、最期もそっと身をひそめるように亡くなりました。

祖母が人生をしっかりと生きてくれたおかげで、われわれはおおむね笑顔で葬儀をすませることができたと思います。涙にくれるような葬儀ではなく、笑顔で送ってあげられたのは、残された家族にとっては何よりありがたいことでした。

ぼくはこれまで何回か人の死に目にあってきましたが、このような亡くなり方があるのかと感心するくらい、祖母の死に際はきれいなものでした。

田舎暮らしの話もしましょう

さて、祖母のお弔いの話だけではなく、ぼくの日常生活の話もしましょう。

この一月はぼく自身もあわただしくて、アトピーがなかなかよくならなかったり、そのほかにもよくわからない体調不良に悩まされたりでなんだか振り回されています。

そんな中、この数日で、うすいえんどうの支柱を立てました。

ほんとうは支柱もネット張りも秋の間にやっておいてもいいのですが、うちは支柱を麻紐でくくります。

麻紐は利用が終わったらそのまま畑に捨ててしまっても自然にかえるので、何かと重宝なのですが、自然にかえってしまうので耐久性があまりよくありません。

春に支柱を立てれば、秋にはダメになってしまいますし、秋に支柱を立てれば、うすいえんどうが収穫できることにはかなり心もとないことになるでしょう。

とりわけ、大雪に見舞われると支柱はかなり傷んでしまいます。これを避けるために本格的な支柱づくりは先送りにしていたのですが、この冬はアトピーで手の皮もいわゆる「ぱっくり割れ」が多発してしまい、何せ手を使う仕事がおっくうで仕方なくなってしまいました。

この一週間ほどでアトピーがかなり楽になって、手の皮膚も回復し、うれしくなったと同時に、大寒を過ぎても今年は寒波がやってこず、これはおそらく今年は大丈夫だろうと見込んで、支柱づくりに踏み切りました。

暖冬でうすいえんどうの苗がかなり大きくなってきており、すでにつるが伸びてきていることも、早めに支柱たてに踏み切った理由です。

当地ではふつう一月に露地の百姓仕事をすることなんてまずありません。毎年雪に覆われてしまうからです。

ところが今年は異様に暖かい。去年は確か、うすいえんどうの苗は2月に無理やり移植させられるくらい小さかったのですが、今回はさすがに移植させるには無理があるくらい大きく育ちました。

あまり越冬するときに大苗になるのはよくない、という話もあるのですが、露地栽培では気温はお天道様に任せるしかありません。

暖かくて雪が降らず、車を走らせるのも気楽でよく、除雪の手間が省けるのも何よりありがたいことですが、野菜作りではちょっぴり不安もある、といったところです。

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