「あの水は餓死水や」と老爺は言った

我が家は200mほどの高さの山の裾野にあります。

いつからか、ぼくは山というと大きなスポンジを想起するようになりました。山の形状はしていても、材質がさまざまな巨大なスポンジです。

スポンジですから、雨が降るとたっぷりと水を含みます。そして水は高いところから低いところへ落ちていく。

山を構成するものが岩であれ土であれ、地中に空洞があれば、水はどこまでも深くそこを通っていくでしょう。

もちろん、山でなくても水は時間をかけて地表から地下へしみこんでいきます。

コンクリートに覆われた都市部でも最近では地下1000mも掘削して温泉を汲み上げているところがあります。実に雨水は地表に降り注いでから百年もかけて、地下1000mにまで伝うのです。

ぼくが住んでいる田舎の家はもともと沢になっていたところの下にあります。家を買ってから気づいたことですが、ハザードマップで注意されている場所にある家屋で、大水害が起こった場合には土砂崩れに巻き込まれるおそれがあります。

しかし昨年の大雨で当地は未曽有の大被害をこうむったものの、うちには幸い被害がありませんでした。

危険がないわけではないのですが、急斜面になっているような形状ではないのと、沢が半ば枯れているうえ、水害が起こっても大半の水がうちより西側にある低い谷に抜けていくため、被害がなかったのだろうと思います。

今ではごく一部に昔の簡易水道に使われていたわずかな沢水が通っている程度なのですが、一帯の土は川砂になっています。

おそらくここは長い間、かなり広範囲に山の表面を伝う水が流れていたのでしょう。そうして、少しずつ山をえぐりながら谷と沢を形成したのだと考えられます。

何かのきっかけで地形が変わったのか、谷の水量はずいぶん減ったようですが、先人はそれを一か所に集めて沢水にして、簡易水道として集落に配水して、生活水に利用していたようです。

水量の差はあれ、水の豊富な場所ですから、うちには地下水もたくさん通っています。

掘ればいくらでも水脈にあたるというわけですが、逆に水が出すぎて困ることも昔はあったようです。

ちなみにどんなことで困ったかというと、土葬のときです。

今はどこも火葬にしなければいけないのですが、半世紀もさかのぼると田舎では土葬が行われていました。

世界的には棺桶というと寝棺がポピュラーですが、日本で土葬の際に使われた棺桶は座棺といって、四角い棺桶に体育座りのような格好で入るようになっていました。高さがあるので、お弔いの際には土を2mほど深く掘っていく作業が必要になります。

このあたりでは、お弔いの時は近隣の山際(高台)にある先祖代々のお墓にお棺を埋めるのがポピュラーだったようです。このときに水脈にあたってしまうと、掘っていく先から水が出てきて困るうえに、お棺をおさめるときも水でお棺が浮いてしまって困ったのだそうです。

さて、この話を教えてくれたのはご近所の老爺です。田舎らしい忖度のない物言いをする人ですが、付き合ってみれば思いやりがあってしっかりと自立した考えの持ち主です。

この老爺の思い出話によると、お棺が水で浮いてしまうので仕方なく、棺桶の上に人が乗って無理やり沈めてしまって、上からどんどん土を落としていってもらったこともあるというのです。何とも不謹慎な笑い話ですが、当時のお葬儀はそういった人間臭さもあったのでしょう。

「地下水が多いから葬儀で困る」なんておそらく現代では想像もしないような話ですね。

しかしもちろん地下水があって困るというようなことはレアケースです。地下水があるのは生活上はいいことなのです。

うちには井戸水を汲み上げるポンプがひとつと、沢の水をくみ上げるポンプがひとつ、ふたつの電動ポンプがあります。

井戸水といっても、昔ながらの釣瓶で汲み上げるようなタイプのものではなくて、おそらく大きなパイプを地中に通して、上がってきた地下水をポンプでくみ上げて蛇口から吐出する仕組みです。

「おそらく」と書きましたが、前の住人が設置したものだから、あとから越してきたぼくには何がどうなっているのかわからないのです。

ただ台所に電動ポンプがあって、上水道で炊事をするシンクとは別の場所に、もうひとつ井戸水が出てくるシンクがあります。しかしそれがどのような形状の井戸につながっているのか、掘削の現場をみたこともなければ、どこに井戸があるのかすらわかっていません。

それでもこの古民家に引っ越した時、井戸水があるなんてすてきだなと思ったものですが、いざ蛇口をひねってみると、出てきた水が真っ赤で驚きました。

完全にホラーの世界ですが、ほんとうに蛇口から赤い水が出てきたのです。

各方面に相談すると、どうやら長い間井戸水を使わずにいたことでパイプが錆びているから、しばらくの間井戸水がなくなるまで汲み上げては、雨を待って同じことを繰り返すといい、ということでした。

言われたとおりにやってみると、次第にさびがなくなって、きれいな水が出るようになりました。

しかしきれいになったからといって、この水は飲用には適さないのだそうです。家の一部をリフォームしてもらうときに水道業者さんに来てもらって、そのときに井戸水の活用法を聞いてみたのですが、

「畑にまく水だとか、掃除に使う水に使うといい」

ということでした。

ただ最後にぽつりと、

「それでも昔は上水は貴重だったから、ここの住人は歯を磨くときや手を洗うときには井戸水を使ってたんだと思うよ」

とつぶやいたのです。

確かに井戸水のシンクの隣には、歯ブラシを置くケースと石鹸のケースが備え付けられてありました。

昔は井戸水というと清潔で、そのまま飲むことができるようなイメージもありましたが、実際には細菌がいることもあって、ピロリ菌の感染源になることがあるのだそうです。

不用意に自然の水を飲むと、おなかを壊しておしまいというだけでなく、長い目で見ても病気のリスクになりえるのだからおそろしい話ですが、昔はそんなことを言ってられなかった事情もあったことでしょう。

うちにはもうひとつ、山の沢からひいてきた水を畑のそばに埋めてあるタンクに溜めて、そこから井戸用のポンプを使って蛇口から畑に散水できるようにする仕組みもあります。

山の谷の水が一部、小さな池のように溜まっている場所があり、そこから水をひいているのです。

しかし引っ越した当初、パイプから水は伝わっておらず、この水を開通させるまでにはかなり苦労しました。

不思議だったのが、水をひくといっても、地形的にパイプが単純に上から下へ水を引っ張るような構造ではなかったのです。

山の形状上仕方ないのですが、いったん水源より高い位置にパイプを引っ張り、そこから畑に向かって下へ下へとパイプが向かう。

これだと高い場所へは水が来てくれませんから、水がタンクにまで落ちてくることはありません。これをどうやって水を開通させればいいのか。

ぼくにはもうお手上げだったのですが、このときチカラになってくれたのは父です。父はまず、水源のそばに設置されていた取水口のバルブを閉じて、また吐出口になるタンクのバルブも止めました。

さらにパイプが通っているであろう一番高い場所を探って、シャベルで掘ってパイプを探し当てると、そこを一部切り取って、T字の継ぎ手パイプを新たにつなぎました。

ほんとうはパイプをたどっていけば前の住人が設置した継ぎ手パイプがあるだろう、というのですが、土に埋まっているパイプすべてをシャベルでむき出しにする労力を考えると、新たに取り付けたほうが早いとのことでした。

この継ぎ手パイプはT字に開放することと直線にだけ水が通るよう開閉できる仕組みになっているのですが、これを開けた状態で水を入れるのです。

水源とタンクの蛇口は止まっていますから、継ぎ手パイプからは水を入れるたびに管内の空気がごぼごぼと出てきて、最終的にはパイプ内が水でいっぱいになります。

水がいっぱいになったら分岐部分を閉じます。そして水源の蛇口を開けて、それからタンクの蛇口を開ける。

そうすると、なんと複雑な形状をした沢の水が、タンクに流れてくるようになりました。

父がなぜそんな方法を知っていたのかわからなくて、「どうしてこれで水が通ることがわかったん?」と尋ねたら、

「サイフォンの原理や」

と教えてくれました。

サイフォンの原理をいちばんわかりやすく説明するなら、灯油ポンプが最適でしょう。

あのだいたい100円でどこでも売ってる灯油ポンプです。

長い筒状のパイプから灯油を汲み上げて、蛇腹のホースから吐出する。真ん中にはハンドポンプがついていて、このポンプを握るごとに灯油が汲み上げられる。

このとき、灯油缶を吐出口より高い位置に置いておけば、数回ハンドポンプを握って灯油が流れ始めたと同時にあとは何もしなくても自然と灯油が吐出されるようになります。

ハンドポンプは灯油缶よりも吐出口よりも高い位置にあるのに、不思議と吸い上げた灯油は勝手に吐出されるようになる。

これがサイフォンの原理です。

この仕組みを利用して、前の住人は山の谷から水をひいてきたのです。

父がこの仕組みを知っていたおかげで、小池になっていた場所から100m以上もある長いサイフォンが作動して、タンクに水がたまるようになりました。

タンクに水がちょろちょろ流れるのを眺めながら、つくづく人間の知恵とはすごいものだと感心したものです。

そして土葬のことを説明してくれた老爺とこのサイフォンの話をする機会があったのですが、そのとき老爺は「あんたの前の住人はそういうことをするのが好きな人やった」と懐かしみました。

そして、思いがけないことを言ったのです。

「そやけどあの池の水は餓死水や」

「え? がしみず?」

「あの池の水はよっぽど干天続きでも干上がらんけど、底に泥がたまってるからとても飲めたもんやない。もう水がなくて死んでしまうという、最後の最後にどうしようもなくて飲む水やから、餓死水や」

土葬の話といい、ブラックユーモアの好きな老爺らしい発言だと思いますが、老爺があの沢に溜まった水を「飲む」という考えをしていたのは、昔はこの山の水を生活水として利用していたことの証明だと思います。

それにしても餓死水というネーミングは秀逸でした。その地の自然を生かし、その地で暮らす人間がつながっていた時代だからこそ生まれる言葉です。

この言葉は一般的なものなのかと思ってネットで調べてみたのですが、出てきません。おそらくこのあたりの人たちが独自で冗談交じりに名付けたのでしょう。

しかしこの老爺も数年前に鬼籍に入りました。

ため池の水はもう、名もないただの水たまりです。

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