時代劇に出てくる野菜はちょっとヘン!?

(´・∀・)p[☆。・:+こんにちゎ*:+:・゚☆]q

時代劇は演劇ですから、その内容に過剰なリアリティを求めるのは野暮というものです。

けれど百姓目線でみているといろいろとおかしなこともあるもので、つい「これはいくらなんでもなあ」と思うようなこともよくあります。

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時代劇に出てくる野菜はヘン?

以前ある時代劇を観ていたら、軒先に大根を干してたんですね。

保存のために大根を干すのは、江戸時代でも当たり前にやっていたことです。

ただ、この大根が虫食いもない立派な青首大根だったのが引っ掛かりました。

江戸時代にも大根はありましたが、ほとんどが白首大根です。

現在流通している形の整った青首大根は当時の江戸ではほとんど出回っていません。

江戸でよく知られたブランド大根は練馬大根で、元禄時代(1600年代後半)にはすでに栽培が始まっていたといわれています。

この大根は白首でひょろひょろと長く、葉っぱが大きく茂っており、なんだか白いごぼうような見た目です。

また亀戸大根も有名ですが、これは練馬大根よりもずっと小ぶりで、やはり白首です。

では青首大根はというと、尾張の「宮重大根」が有名でした。

この宮重大根をタキイ種苗が改良したものが、今日本中に出回っている青首大根です。

昔は青首大根は西日本に広がっており、東日本ではひょろ長くて首の白い大根が主流だったのです。

尾張の大根なら徳川家康ゆかりだから江戸でも栽培されてたんじゃないの?

……と思うかもしれませんが、そこにはちょっと事情があったようです。

というのも、どうやら大根の主流がわかれた理由は「土壌の問題」にあったようなのです。

土壌が白首と青首の分布をわけた?

日本の土壌にはいろいろと種類がありますが、ものすごく大雑把にわけると、森林褐色土と黒ボク土と沖積土にわかれます。

森林褐色土は、日本の大部分を占める、いわゆるふつうの畑の土です。全国に分布しますが、中部地方から西日本にかけて圧倒的に広く、関東以北では日本海側に点々と分布します。

黒ボク土は、火山がある地域特有で、火山灰が降り積もった土壌の上に、長い期間をかけて有機物が堆積した土壌です。これは関東地方から東北地方の太平洋側で広く分布します。

沖積土はもともと川だった地域に特有の土壌で、川砂が混じったような土壌になります。これは日本全国に点々と分布しており、これは海岸沿いや川、湖のある地域に点々と分布しています。

土壌分布図をみると、宮重大根は沖積土で栽培された大根であることがわかります。これをもとにして話を進めましょう。

黒ボクの土は火山灰土が堆積してできたものですから、水はどんどん地下へ地下へと吸い込まれます。水はけがよすぎるくらいよくて、根菜は深く長く伸びていきます。

こういう地域ではごぼうなどは素直に長く育ってくれますが、水はけがよすぎるのでふつうの畝を作らずに、逆畝にして水がたまりやすい形で野菜を育てることがあるそうです。

ちなみにぼくの住んでいる京都北部は主に森林褐色土が分布しますが、大根はできるだけ高畝にして育てます。

地中数十センチも掘れば黄色くかたい土に当たってしまうので、たった30~40cmほどの長さの大根でも、高い畝で育ててやらないと、根がうまく育たないのです。

こういうところでは、ごぼうも現在市場に出回っているようなものではなく、それこそ木の根っこのように太く短い、短根種といわれるものが栽培されています。

実は、タキイ種苗があの青首大根の種を出回らせるまで、日本では圧倒的に白首系の大根が主流を占めており、青首大根は少数派だったようです。

しかし分布的な面でみれば、宮重大根は青首で根の短い品種なので、沖積土でもよく育ち、それが褐色森林土である西日本でよく栽培されたというわけです。

しかし関東では、黒ボク土ということもあって根がどこまでも長く伸びてくれる練馬大根もブランドとなりましたし、それ以外の根の短い大根にしても、関東のブランドは白首ばかりです。

青首も作られないわけではなかったと思いますが、閉鎖的な村社会の時代です。わざわざ「青首でなければだめだ」といって作っていたお百姓はほとんどなかったのではないかと思います。

大根は日本各地で多く栽培されていますが、アブラナ科の野菜は交雑しやすいですから、日本各地で多様性がありました。

当然現在のように画一的な品種の種が出回るようなことはありませんし、各地でいろんな大根を楽しんでいたのではないかと思います。

しかしそんな中で、江戸時代の江戸で、種苗会社が作ったのではないかと思うような見事な青首大根が、それも虫食いのない美しい大根が出てくるのです。

しかも、干し大根にするには白首大根が向いているのですが、青首を軒先に吊るしているのだから、これはまあ、あの有名な剣客の家の若奥さんも不思議なことをしているものだなあと驚いたというわけです(笑)

江戸時代に六片にんにく?

同じような話ですけど、こちらはつい最近のNHKのコメディ時代劇で、幕末の江戸で六片にんにくを扱っていたんですね。

これもなんだか不思議な話だなと思ったのです。

にんにくというのは、日本全国どこでも栽培されています。現在、圧倒的なシェアを誇っているのは青森県産の六片にんにくです。

しかし、あの六片種は青森でしか作れないことで有名なのです。

需要があるからだと思いますが、どこのホームセンターでも「福地ホワイト六片」の品種の種ニンニクが売られています。しかしあれは青森以外ではほんとうに育てるのが難しいのです。

では青森以外ではどんなニンニクが育てられていたのかというと、早生品種で12片ほどに分球するにんにくです。

にんにくは交配しないので現在でも品種が少ないのですが、青森の中でも産地以外ではほとんどの地域で12片にわかれるにんにくを栽培していたのではないでしょうか。

六片種はいわゆる晩生品種で、ふつうは6月ごろに収穫するニンニクを7月ごろに収穫します。

かといって、ふつうの地域で栽培すると、ほかのニンニクと同じように6月ごろに成長が終わってしまい、きちんと太ってくれません。

しかしこの栽培の難しい六片種のにんにくの、それもまるまると太ったものを江戸時代にさも当たり前のように手に入れているのが、ぼくにはなんとも不思議で奇妙な光景に思えたのです。

しかし、当時も津軽のにんにくは有名だったそうで

六片種に違和感を覚えたものの、調べていくと、江戸時代でも「津軽のにんにく」はその薬効がたたえられていたのだそうです。

弘前市鬼沢地区に残る伝説によれば、江戸時代に赤穂藩主がいわゆる「中風(I脳血管疾患)」にかかった折に、津軽の者からにんにくを譲り受けて食べたところ、快癒したのだそうな。この伝説に由来して、弘前市鬼沢地区では今も年に一度、神社でにんにくの市を立てているそうです。

つまり江戸時代にも、津軽地方のにんにくが江戸に持ち込まれることはあったようですが、当時、どれだけ青森産のあれほど立派な六片にんにくが流通していたのか。

江戸で流通させるのであれば、それが土地の特産でなければならないわけですが、津軽ではにんにくを特産として年貢にして、江戸に持ち込んでいたのでしょうか。

と、考えていくとキリがありません(*´・ω-)b ネッ!

最初に述べた通り、時代劇に過剰にリアリティを求めるのは野暮なことです。

ただ、こういう違和感をきっかけに、当時の民衆はいったいどんな野菜を食べていたんだろう、と想像するのはとても楽しいことです。

決していちゃもんをつけているわけではないのです(笑)

またいろいろと調べていくうちに、気づいたことがあれば
書いてみようと思いマ━d(´∀`〇)━ス!!!

覚えていれば、ですけど(笑)

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