田舎の温泉は最高!?

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本題に入る前のながーい導入部

都会と田舎というと対立構造になりがちで、「都会はごみごみしてる」とか、「田舎は人づきあいがたいへんだ」とか、とかく悪口の言い合いになってしまうものです。

先日あるラジオ番組を聞いていたら、「都会と田舎、どっちに住みたい」という企画でアンケートをとっていたのですが、ふたをあけてみると都会に住みたいという意見が田舎に住みたいという人の倍以上。

都会に住みたいという人が田舎のどういうところが嫌なのかという意見も紹介されていたのですが、がくぜんとしました。結局都会がいいという人は、今のぼくのような暮らしぶりがともかく嫌だというのです。

ヘビが出てくるから嫌。病院がない、コンビニがない、スーパーがない。ともかく何が何でも不便なのが嫌。結局退屈で嫌になる。

などなど。

ぼくは田舎暮らしってなんて楽しいんだろう、きっと多くの人が田舎暮らしをいいものだと思ってくれてるだろうな、と思っていました。

自然は豊かで、近所の人間づきあいは濃厚で生き生きしていて、草刈りだとか畑仕事だとかに追われていればフィットネスに通わなくても毎日運動できて、四季折々の自然を思う存分楽しむことができて……。

それなのに、多くの人が田舎暮らしよりも都会にいるほうがいいだなんて、このラジオ番組を聞いて、がっかりしてしまいました。

いや、田舎が住みづらいというのはわからないでもないんですよ。

ぼくも二十年前にこの田舎に引っ越してこられたかというと、かなり抵抗があったと思います。

なぜかというと、ネット環境がなかったから。

ぼくの今の生活はネットに助けられている部分が多くて、ネットのない生活は考えられないといっていいほどです。うちの集落のあたりには、だいたい10年ちょっと前にネット回線が開通したんですが、それまでは携帯の電波も危ういくらいだったそうです。

ネットが発達したおかげで、田舎暮らしは劇的に面白いものになりました。

その傾向は現代に至っていよいよ深まっています。

買い物はもちろん、テレビだってオンラインストリーミングサービスが発達して、過去の作品から新作まで映画、バラエティ、アニメでも見たいだけ見られます。

本が読みたければ読みたい本を探してお金を払えば即読めます。音楽だってやろうと思えば一日中流すことができます。ラジオはradikoで一週間までさかのぼって好きな番組を聞くことができるでしょう。

いざ楽しもうと思うと、いくら余暇があっても足りないほどです。

こういうデジタルの恩恵を受けていればこそ、田舎の一人暮らしも苦になりません。

逆に、これらの恩恵をすべて奪われたら、と思うとゾッとします。そんなことになったら、田舎暮らしは途端に退屈でつまらなくて仕方なくなることでしょう。

そういえば、安部公房の『砂の女』という作品があります。これはアリ地獄のようになった砂穴の家に女が住んでいるのですが、突如その暮らしに男が巻き込まれ、閉じ込められてしまうという寓話のような作品です。

男は穴から出ようともくろむのですが、どうしてもうまくいかない。そのうちに男はこの砂穴の集落の暮らしになじむようになり、どのようにうまく暮らそうか工夫するようになり、女は男との子を妊娠します。

しかし砂穴の集落というくらいだから、ここは世間と没交渉な暮らしにすっかり染まっているのかというと、意外と配給があったり、女はラジオや手鏡がほしくて内職をしていたりするんですね。

そう、ラジオです。女はラジオで外側の世界の話が聞きたくて仕方なかったのです。

昭和30年(1955年)を舞台にした話ですから、当時は娯楽らしい娯楽がなかったはずです。そんな中で女はうまいものが食いたいとか、この穴の外で豊かな暮らしがしたいとか、そういったことよりも、ラジオを望み、自分の姿を映す鏡を欲したのでした。

ぼくはこの女の気持ちが……わかるといったら変ですが、暮らしの中に娯楽がある大事さは、やっぱりよくわかるのです。

もちろんインターネットが発達して便利になったからといって、病気になったときに病院がないとか、コンビニやスーパーが近くにないという問題はあります。

でもそれはそのとき、どうにかなるものです。どうにかならないこともあるでしょうが、そのわりにうちの田舎は高齢者だらけですし、当地の高齢者たちは病気になったらなったで、自分の暮らしを謳歌しているようです。

……とはいえ、いくら田舎暮らしは面白いですよ、楽しいですよ、といったところで、なかなかすべての人にそのよさは伝わらないのでしょう。

それだったら、思い切って伝わりづらい田舎のよさでも書いてやろうか、と思ったところから、ようやく本題に入ります。

ぼくが田舎に来ていちばんよかったと思うことは、また別にあるのです。

それは、温泉!

なにせ田舎の温泉は最高です。

ぼくはもともと銭湯が大好きなんですが、都会の銭湯に行くとどこも人が多くて、いったいどうして金を出してこんな狭苦しい思いをしなければならないのかと思うこともよくありました。

ところが、こっちに引っ越してきて、近所の天然温泉に行って驚きました。

平日の日中ということもありましたが、広々とした浴場がほぼ貸し切りで、まるで王様のような気分でゆったり楽しめたのです。

しかも源泉かけ流しの湯量豊富な天然温泉です。

大阪に住んでいたころのあわただしい銭湯が嫌だというわけではありません。芋の子を洗うような浴場でも、それはそれで人間観察の楽しみくらいはあります。

でもやっぱりお金を払って風呂に入るのだから、ぜいたくに湯を楽しめるのは、そりゃあうれしいことなのです。

サウナをじっくり楽しんで、水風呂に入って、数往復。それからいろいろな温泉を好きなだけ楽しんでいれば、いつの間にか一時間以上経っていて、畑仕事で疲れた体はしっかりリフレッシュ。明日への気力にもつながろうというものです。

風呂好きにとって、地元の天然温泉に安く入れて、人に気兼ねなくのんびり楽しめるというのは、何より幸せなことです。

あくまで個人的な話だけども、ぼくにとって田舎に来ていちばんよかったのは、いい温泉があるということでした。

田舎で百姓をしていると、あんまり情熱燃やして心を熱くするという機会は少なくなりましたが、あたたかい温泉にじっくり浸かって「体を熱くする」機会には恵まれるようになりました。

【余談】災害と温泉

温泉の話をしているうちに、ふとこんな話を思い出しました。今日はこの余談をして終わろうと思います。

去年の2018年、6月末から一週間以上大雨に見舞われて、各地で土砂災害が起きましたが、京都北部のうちのあたりも川が決壊したり山が崩れたりでたいへんなことになりました。

そんな中で集落が孤立してしまい、電気もこない、水もこない、外に出ようにも道がふさがれていて車が出せない、という状況になったところがありました。

食料などは災害後すぐに届けられ、水も給水車が出動したのですが、住民は結果的にインフラが断絶してから一週間近く外に出ることができずにいたそうです。

その際に現地の様子を見に行った人が「何かできることはありませんか」と尋ねたら、顔を真っ黒にした住人が「どうでもいいから風呂に浸からせてくれ」と頼んだというのです。

道が開通すると住人はすぐに地元の温泉に連れて行ってもらったというのですが、災害でインフラがダメになったとき、飲食料の調達が必要だという知識はあっても、衛生面の問題があることをあまり考えていなかったので、この話を聞いたときはハッとしました。

去年の7月初旬の猛暑の折に、災害に見舞われて毎日駆け回らねばならないような状況だったのみならず、何日も風呂に入れないというのはたいへんな苦痛だったと思います。

先日、被災した地域の人がいらっしゃる折にもこの話をなさって「あのときは風呂がないのがいちばんつらかった。温泉に入れてもらったときに、ようやく助かったと思った」と、そのときの気持ちを話してくれました。

地元の温泉は、災害で苦しい思いをした人の体も清潔にし、一服のゆとりをもたらしたようです。

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