マイケルはもういない

マイケルが死んでもう10年になる、というので驚いてます。ぼくの誕生日に近いところで亡くなったというのは知っていたんですけど、あのニュースをみたときは、ひっくり返ったもんなあ。

(´・ω`・)エッ?

マイケルとは誰のことか、って?
マイケル富岡ですって? マイケルジョーダンのことかって?

……

いえ、マイケルムーアです。←違います

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マイケルジャクソンは戦後自由主義社会の神

今日のニュースみてたら、マイケルの没後10年で花を手向けながら号泣してるファンの写真をみたんです。

それはまあ別に、悲しくて泣きたいのであれば泣けばいいと思うんですけど、今の時代、キリストの没後2019年目だからと号泣してる人というのは見かけないわけで、やっぱり没後10年くらいだと、時代の当事者感覚があるんですよね。

だから泣くことができる。


それでぼくはやっぱりマイケルには一種の神性があったと思うんですけど、それは彼自身が哲学的に何かを掘り下げ、追い求めて生まれた神性ではなくて、戦後の自由主義社会の象徴として祭り上げられた「神の像」のようなものだと思うんです。


だからマイケルを拝めば拝むほど、実際の彼の人間としての幼児性というか人間らしい俗な部分が際立ってくる。

マイケルを拝むというのは、アメリカ主導の戦後自由主義社会への憧憬とつながっています。

そして自由主義社会がどんどん肥大してマイケルを屠るところまでいってしまう、というところまでを神話として、西側的な豊かさや、いびつな平等や平和を歌い上げるマイケルジャクソンという人を見ていくと、やはり彼は一種の神なのだと思うのです。


しかしいくら神様のように感じたとしても、マイケルはこの時代特有の熱狂に過ぎなくて、
おそらく次の時代に語り継がれていくものではないんだろうな、と思います。

彼の神話はこの時代でおしマイケル、というわけです。
↑ひどい

ズッキーニはキュウリが出始めると売れなくなる

これからキュウリが本格的に出始めるんですが、そうなるとズッキーニが売れなくなります。

じゃあキュウリを作ればいいじゃないかと思うかもしれませんが、キュウリは露地栽培だと灌水設備が必要で、しかも昨今の異様な暑さでは、「夏にキュウリ」が作りづらくなっています。


キュウリは市場の需要はものすごく大きいんですが、結局出るときはみな同じタイミングで出てしまって、供給が飽和状態になって売れ残ってしまいます。

で、消費者は「キュウリがあるならズッキーニはいらない」と思うのかもしれません。

ぜんぜん別のものなんだけど、「同じような見た目のウリ」という意味では、確かにおんなじかもなあ(笑)


個人的にはズッキーニはキュウリよりもはるかに汎用性の高い野菜だと思ってます。

煮物によし、焼いてよし、揚げてよし、漬物にしてよしの万能選手で、しかもうまい。

「ただのウリで味がわからん」という人もいるんですけど、乾燥させたらズッキーニは豊かな風味があって甘いということがわかります。

もっとズッキーニのおいしさに消費者が気づいてほしいなあ、と思う今日この頃です。

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