冷夏の予報はどこへ行った?

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冷夏の予報はどこへ行った?

今年の梅雨が不安定だったときに、「今年は冷夏になるぞ。平成の米騒動ならぬ令和の米騒動が起こるぞ」と騒いだメディアは、じつにまことしやかでした。

それで、1993年のような冷夏で米騒動になるというのが現実的でないようないくつかの疑問はあって、そのひとつは急速に進んでいる温暖化。

もうひとつは、コメの品種の多様化と生産期間のばらつき。さらに全国展開によってリスクが分散されているということ。


まあ温暖化についてはもう言うまでもなくて、日本は戦後の、とりわけ1980年代以降急速な温暖傾向にあります。

そんな中、現代のお米は、4月から6月いっぱいまで作付けされています。

昔はお米は麦の栽培の後と決まっていたので、基本的に6月からの植え付けでした。

今は米は4月から植え付け。もう8月には収穫して新米が出回り、11月くらいまで収穫が続きます。

おそらくいちばん作付けの多いシーズンは、ゴールデンウィークだろうと思います。

さらに米の生産調整を行うための減反政策も、2018年に廃止されました。

また品種も台風に強く食味のよい品種があちこちで栽培されていますし、北海道でも安定したコメの生産ができるようになりました。


これらの要因を考えると、よほどのことがないと令和の米騒動ということにはならないのではないかと思いつつ、しかし8月になっても延々曇り空が続くようなことがあればよくないな、と思っていました。


おりしも、太陽の黒点の数が減って来年末くらいまで寒くなる、というような記事もあって、そういう宇宙の影響というどうしようもないことを言われると、そうなのかなと思っていたところもあったのです。

ところがどうも、ふたを開けてみると暑い!

梅雨明けまではずいぶん時間がかかって、7月下旬、土用を迎えてなお曇天模様でじめじめしているときには、冷夏ということなのだろうと思っていましたが、そこから猛烈な暑さに転じると、「いったいあの冷夏予測におびえていた日々は何だったのだろう」と思うのです。


思うに、われわれは長い目で、「今日暑いから〇〇だ」「今日寒いから〇〇だ」という短絡的な予測に左右されてしまうんですよね。

それで、5月に季節外れの猛暑に見舞われて、北海道でこれまでにない熱波が襲来したということがニュースにもなりました。

あのときは、ああまた今年も猛暑なのかと思っていたら、今度は一転して梅雨寒が続いて、こりゃコメが不出来になるかもしれないぞ、なんて見通しに変わりました。先日は気温が上がらないのでキュウリの値段が上がっているという話も聞きました。

それで今度はまた猛暑です。

暑いこと暑いこと。うちは夜中になっても室温が30度を下回らず、こうなると土用の梅雨寒もなんのその、ぜんぶ取り返しておつりがくるくらい暑い。


予報はあくまで予報ですから、それがはずれていても文句を言うつもりはありませんが、どうもここ数年、そのときそのときの天気が極端で、そういった極端さに巻き込まれて右往左往してしまっている気がします。

かといって、百姓はこういうときに「どっしり構えておおらかに」なんてことはできません。

最悪の見通しを立ててできる対策はしておかねばなりませんから、ぼくはこれからも予報に右往左往し、そのときの気温にあたふたすることだろうと思うのです。

死者をもてあそぶメディア

共同通信が、「京都アニメーションの事件でお亡くなりになった方のご家族や親友の皆様へ」と題して、京アニ火災で亡くなった人の家族や親友に、話を聞かせてくれと訴えかけているのですが、それに対してまあネットが荒れること。

そりゃ荒れますよね。

連日のメディアのしつこい報道は、徐々に墓暴きの様相を呈しています。

犯人が意識不明のまま、問題の原因を知りたくても進展がなく、かけがえのない家族・友達がむごい死に方をしてしまった。事件に巻き込まれた家族や周囲の人たちはほんとうに苦しい思いをしているでしょうに、そこで「とりあえずまず話を聞かせろ」というのです。

言い方が丁寧だろうが、気遣っているようにみえようが、あの文章の本質は「苦しい気持ちはよくわかる。ところで、うちのメディアで死者についての話を聞かせろ」です。

報道の自由もずいぶん堕落したようです。政権には飯を食わせてもらって体制批判ひとつできないくせに、死者にはわんさか群がって飯を食うハゲタカと化したのでしょう。


最近よくこんなことを考えるんですが、ある非常にめんどうくさい話をしてくる人がいたとします。

最初にそこできちんと対応すると、「ああ、あなたはこのめんどうくさい話を聞いてくれる人なんですか。それじゃあわたしにもぜひ」といって、立て続けに別の人間からそれぞれ10回も20回も同じ話をされるようなことがあるのです。

一回お人好しをしてしまうと、そこにつけこむ人がいるんですね。

当人はもう、へとへとです。

ところが、めんどうくさい話をした当人は、「自分はちょっと一回そういう話をしただけだ」としか思ってない。

あるいは、「これはあくまで仕事ですから」といってシレッとしてるかもしれない。

しかしめんどうくさい話をされた側は、10回も20回もめんどうくさい話を繰り返させられて、疲弊しきってしまう。

まじめな人ほど、こういう目にあうものです。

今回の京アニの件でも、このような思いをなさっている方がいるのではないか、と思います。

ウナギ

ウナギは早く絶滅すればいいと思ってます。

毎年、獲れる量が少ない、養殖といっても稚魚がいないとどうしようもない、といって騒いでいるのに、なぜかどこのスーパーでも年がら年中陳列されていて、たまに売れ残りに半額シールが貼られていたりします。

メディアや市場は消費者をバカにしてるんでしょうか?

何年間も市場でまともに取り組みもされていないことを、メディアはなぜ毎年しつこく声高に叫ぶのでしょう。


市場規模を一気に縮小する国際的な取り決めをして、流通は予約販売と専門店のみに限って、稚魚資源の回復を待つ、としてしまえば済む話です。

つまり、取り組めばいい。

けれど、何の対策もしない。

無策のまま、「ウナギが減ってます。この専門店では値上げをして、今はうな重が3800円……」なんてことを延々叫び続けるメディアに、われわれが付き合わされる。

のわりには、スーパーで並んでるウナギは毎年毎年、さほど値段に変動があるとも思えないし、全国津々浦々にじゅうぶんな量が流通しているようです。

ようするに、例年のウナギ騒動は、茶番なんだろうな。

「モノの市場価格なんて、ちょちょいのちょいで大衆を脅かせば何とでもできるんだぜ」と言われているかのようです。

この問題、流通の現場にいる人は、誰も何とも思ってないんじゃないでしょうか。

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