情報をおいしく召し上がっていただくために

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情報をおいしく召し上がっていただくために

ぼくは、まあここでブログを書き散らかしながら言うのもどうかと思うんですけど、現代の情報産業は工業生産化していて、その中に位置するブロガーなんてのも微々たる広告収入で莫大な情報を提供させられているわけです。

時給1000円稼げてるブロガーって、全体の何割?

そういうことを考えると、今のたいはんのブロガーは、産業革命時の末端の工場労働者のようなものだということがわかります。

で、ぼくはというと性格がアマノジャクなので、あまりみんながほしがらないようなことばかり書きます。まあ、いわばどうでもいいようなことというか、私小説的なことが多いですね。

最大公約数を狙う、というようなことも、めったにしません。

このブログもしばらくは求められる情報を与えようという努力をしていたのですが、いつの間にやらどうしても自分が前に出てきてしまって、今ではもう好きなことを好きなように書いています。

つまり「自分の書きたいものを書く」というメンタリティで成立しています。


それで、情報を生産する側はそれぞれ、ぼくのようにどうでもいいことを書くことで納得している人もいれば、金がほしいから大いに世間に迎合する情報を生産します、という人もいるでしょうし、はたまた金儲けと媚びない姿勢を上手に両立しているような人もいるでしょう。

が、情報を受け取る側はどうでしょうか。

なんとなくぼくは最近、あることが、非常に今の情報の受け手のしぐさと似ているな、と感じているのです。


ぼくは百姓をしていますが、たまに獣害にあうことがあります。

猪や鹿、猿といった、百姓にとっての害獣は、われわれが生産した野菜を「適当に食い荒らす」のです。

この適当に食い荒らされるというのが、百姓としては非常に腹が立つことでしてね。


たとえばスイカを作るとします。

そのスイカの中が赤く熟してくるころ、突然ボコッと穴がくりぬかれた状態になってしまうことがあります。

どうしてこんなことになるのかというと、ハクビシンというイタチとタヌキの間のような格好の動物がいるんですね。

このハクビシンが、スイカに首を突っ込んで、ぜんぶは食べてしまわずに、とりあえず首を突っ込んだぶんだけ食べて、それでどこかへ行ってしまうのです。

生産した側からすれば、なんだかハクビシンに「うまいかどうかとかどうでもよくて、そこにあるからとりあえず食っただけだ」と言われたみたいでたいへん腹が立つというわけです。


シカが野菜を食べるときも、あんまりお行儀はよくありません。とりあえず、適当に少しずつ食い荒らしていく、というようなことをします。

イノシシはまるで耕運機で掘り返したみたいに圃場を掘り返して、芋などはものの見事に一気に食い荒らしますが、それでもなんだか、よくみると食べこぼしがけっこうある。

サルに至っては、興味のない食べ物だと食べもせずに引きちぎっていく、というような悪魔の所業をすることがあります。

去年の原木しいたけは、サルがほとんど食べもせずに「むしりとって地面に捨てていく」というむちゃくちゃなことをしてくれたものです。


なんだかずいぶん話が脱線したように思えるかもしれませんが、さにあらず。

どうもぼくには、情報化社会の受け手の、情報の拾い方は、獣が人間の作った野菜を食い荒らしていくようなしぐさに似ているよな、と思うのです。


おそらく情報の受け手は、膨大な情報量の中から、自分の食指が伸びるものだけを拾って、それを適当に食い荒らしているはずです。

一冊の本を隅から隅まで丁寧に読むように、情報の生産者に報いるようなしぐさをしている人は、ほとんどいないでしょうし、実質的にそんなことは不可能でしょう。

インターネット世界の情報は、図書館のようにまとまった一冊の本が書架に並べられているのではなくて、メモ書きのようなものが膨大に散らかっていて、それがあいまいな仕切りのようなもので粗雑に仕分けている、というものです。

ブログにしても、すべてを通して「ひとつの作品」として考えている人はほとんどいないと思いますし、Twitterは特に、メモの集合体ですね。


ネットでの情報の受け手は、そういった乱雑な情報を適当に食い荒らしていく。

当然われわれの手に入る知識は体系的なものではなくて、あちこち柱の抜けた欠陥建築のようなものになります。

それに呼応して、情報を与える側も、「どうせ自分の与える情報は食い散らかされるのだから」ということで、食い散らかされることに対応した情報を与えるようになる。


さて、また野菜の話に脱線します。

ぼくは、きちんとおいしく食べてくれるであろう人間に向けて野菜を生産します。

だからこそ、おいしい野菜を作ろうという努力をしますが、これがそこらの獣と同じように、適当に食い荒らしてぽいぽい捨ててしまうというのであれば、最初から丁寧に野菜を作ることなどせず、「食えりゃいいでしょ。ハイハイ」といったものを生産するでしょう。

その場合、ビジネスとしての関係はものすごく雑で、おそらく売り手にも利益は薄いし、買い手もあまりいい思いをするとは思えません。


野菜作りでたとえましたけど、どうも、今のネット界隈の情報のあり方は、そういう負の面が大きいように思える、というのが今回の話です。

だから微々たる広告収入で、どうでもいい莫大な情報を生産するという悪循環に、ほとんどの人が巻き込まれているし、情報の受け手も粗雑な情報に埋没せざるをえません。

ひと昔前に、医療情報を発信するウェブサイトを立ち上げた企業が、非常に安い単価で記事を募集して、それをほとんどまともに検証もせずバンバン記事としてアップロードして、広告収入で利益を得ていたという問題がありましたけど、個人ブログとして、ああいう轍を踏まないでいるためにはどうすればいいのか。

なかなかこれといった答えが出ない、むずかしい問題だと思いますけど、今ぼくが考えているのはそういうことです。

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