【あなたの望むあなたになるために】あなたに必要なのは「意志の強さ」と「克己心」と「向上心」のどれ?

最近ぼくがよく考えるのは、「向上心をもって生活しよう」ということです。

なんというか、漠然としてますよね。実際、漠然としています。

向上心によく似ているように思うのが、「高い意志をもって行動する」とか、「克己心をもつ」といった言い回しです。

どれも同じように思えます。

が、これが、違うところもあるんだなあ。

今日は、そんなお話です。

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まずは辞書で調べてみよう

すべて、goo辞書から引用していきます。

【向上心】

現在の状態に満足せず、よりすぐれたもの、より高いものを目ざして努力する心。「向上心に欠ける」

【意志】

  1.  あることを行いたい、または行いたくないという考え。意向。「参加する意志がある」「こちらの意志が通じる」

  2. 目的や計画を選択し、それを実現しようとする精神の働き。知識・感情に対立するものと考えられ、合わせて「知情意」という。「意志を貫く」「意志強固」

  3. 哲学で、個人あるいは集団の行動を意識的に決定する能力。広義には、欲望も含まれる。倫理学的には、道徳的判断の主体あるいは原因となるものをいい、衝動と対立する。

【克己】

自分の感情・欲望・邪念などにうちかつこと。「克己して学問に励む」「克己心」

【引用元】https://dictionary.goo.ne.jp/

それぞれ、よく似たことを言っているようで、ずいぶん違うものですね。

意志とはなんなのか

それで、どうしてこんなことが気になったのかというと、つい最近、なだいなださんの『アルコール問答』という本を読んだからです。

なだいなださんは芥川賞候補の常連作家でしたが、同時に医師でもあり、日本で最初にアルコール中毒治療に携わったパイオニアのひとりでもあります。

そのなださんが、断酒には意志が必要だというんですが、それじゃあ意志とはいったいなんなのだ、ということについて考えるんですね。

それが、辞書の説明とは少し違うんです。

意志は辞書では、精神の働きとして分類されている知識・感情・意志、つまり知情意としてセットになっているうちのひとつだとあります。

これら精神の働きはそれぞれ独立して働いていて、意志は知識や感情とは対立する関係にある、というのです。

つまり「意志のチカラ」とは、知識だとか感情といった精神の働きとは切り離して、ただ目的や計画を実現するために邁進するチカラだというんですね。

ところがなださんはそれを、心理学が今のように発展する前の分類だから、少し見直したほうがいい、とおっしゃった。

どういうことかというと、意志はチカラだけども、チカラとはなにかと拮抗するものです。

断酒で考えると、この場合意志のチカラは飲酒の欲望に抵抗するためにある。だから純粋な意志というのは、持って生まれた精神の強さではなく、意地というべきものだというのです。

さらに、欲望に抵抗し続けるためには、見通しを立てたり、計画を立てたりする能力、すなわち知恵が必要となる。

ですから、実は意志というのは、「知性に支えられた意地である」というのです。

知性によって計画を立て、それを欲望に抵抗しながら遂行していく意地のチカラこそが、意志なのだと。

これは非常にわかりやすい考え方で、筋道が通っています。

こう考えると、われわれのまわりの人の言う意志とは、少し意味合いが変わってくるということになる。

もし、周囲の人が「もうちょっと意志を強く持とうよ」というときは、それはこのように言い換えて考えるとわかりやすくなります。

「もうちょっと計画性をもって、意地になってやってみるべきだ」と。

頭もよくて、根性もなければいけないんだから、意志を強く持つというのはじつにタイヘンですね。

依存などを乗り越えるためには、知性と意地を総動員して、意志を強く持って何度も何度も立ち向かっていかねばならない、というのです。

克己心とはなんなのか

それでは克己心とはなにかというと、これは辞書に「自分の感情・欲望・邪念などにうちかつこと。」とあります。

さっきの意志の話でいうところの「意地」なんですよね。

しかし意地の場合は、たとえば「男の意地」なんて言い方もできます。けれど、「男の克己心」というような言い方はしません。

どういうことかというと、克己心とは意地に似ているけど、自分に向かっていくことしかできないんです。

自分の目的のために、自分の何かを犠牲にしてでも自分を乗り越えていこうとする。

これは意地の中でも、とてもストイックな心の働きです。

余談になりますが、克己心がもてはやされるのは、東洋特有の感覚のようです。

克己を英語で翻訳するとどうなるか調べてみたんですが、どうも「我慢」ということになるらしい(笑)

司馬遼太郎さんいわく、東洋人はある道具を上手に使いたいというとき、人間の「練度」でどうにかしようと思うそうです。つまり、人間がもっと技術的に高まれば、道具を上手に扱えるようになる。

人間が主体で、道具はあくまでもそれを補助するのである、と。

だから克己心がもてはやされることになるわけです。

ところが西洋では、よりよく道具を使いたいならもっと使いやすい道具を作ればいい、と考える。

この場合、道具が主体で、人間が道具を支える補助となる。

こういう考え方だと、人間がひたすら自分を高めるためだけに練度を高めていくというのは、我慢を強いられているようにしか思えない。

だから、同じように体を鍛えるにしても、東洋ではジャッキーチェンの初期のカンフー映画のように、できるだけ道具に頼らずストイックにやるようなのを好みますが、西洋ではトレーニングマシンを利用して効率的にやろうとするわけです。

克己といのはいわば、精神鍛錬なんですね。

向上心とはなんなのか

向上心というのは、克己心とも意志ともちがう、ふんわりとした精神の働きです。

ただ「向上心に欠けている」というような批判で用いるときには、それは克己心や意志の弱さと同列に用いられることもあるようです。

向上心というのは、今よりもよりよい状況にしてやろうという、漠然とした気構えのようなものです。

向上心の場合は、意志のように、目標も見通しも必要ありません。克己心のように、欲望に打ち勝つために何かを我慢しようというストイックさも必要ありません。

知性も意地も必要ないのだから、たいへんお手軽なんです。

ただ、今自分が置かれている状況よりも、少しでもよい状況にいこうじゃないか、というわけです。

現状維持ではなく、たった一歩でもいいから、前に進もうというのです。

ぼくは個人的にこの向上心というのが、自分という人間にとってはいちばん心地よい心の在り方だと思っています。

まとめ

「意志」と「克己心」と「向上心」は、それぞれニュアンスがかぶる部分もありますが、使い分けて考えたほうがわかりやすいと思います。

たとえば「走る」と一概にいっても、フルマラソンを2時間台で走り切りたいのか、ともかく歩いてでも走り切ればいいのか、あるいは競技としてではなく毎日少しずつ走ることだけが目的なのか、その人それぞれの目的や特性があります。

それと同じように、人生でなにをどのようにがんばるのか、ということについても、それを意志のチカラでがんばるのか、克己心をもってがんばるのか、向上心をもってがんばるのか、ということを使い分けることで、より自分の心のあり方にアプローチできると思います。

たばこやお酒のような、中毒性のある嗜好品をやめたい、またダイエットに取り組みたいというようなあなたには、意志のチカラを利用して乗り越えていかれるのがよいでしょう。

なによりも精神を鍛えて自己の高みを極めたいというストイックなあなたには、克己心を持つことをおススメします。

自分という人間の弱さを自覚して、それでも自分の今ある状況より少しずつでもよくなっていこうという思いのあるあなたには、向上心を持つことをおススメします。

それぞれ上手に使い分けながら、人生のいろんな局面を乗り切っていきたいものですね。

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