【零細ブロガーに向けて】ブログを20年計画で考えることで、みえてくる勝算について

今日はたいへんおこがましいことなんですけどね。

自分がここ最近気づいたことで、ブロガーのみなさんの気構えが少し変わるんじゃないかと思って、この記事を書きました。

まあいつもどおりダラダラと書いているんですが、「早く収益をあげたい!」ともどかしく思っているブロガーさんの一助にはなるんじゃないかな、と思ってます。

まあ、ちょっとがんばって読んでみてください(笑)

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はじめに

ぼくはあんまり自分のブログの外観を見直すことがなくて、基本的に直接編集画面から投稿記事をいじったり、新規記事を書いたりするばかりです。

というのも、ブログの外観などの体裁って、こだわりだしたらキリがないでしょう。

あんまりひんぱんにみるとアラが目立ってくるもので、あれを変えたいこれを削りたいそれを追加したい、と模様替えにばかり気をとられてしまうから、自分の役割は書くことだと決めて、できるだけ表面的なものには興味を持たないでおこうとしてるんです。

それで、つい先日ひさしぶりに自分のブログをみたら、なんだけっこうスッキリしてるじゃないか、と感心する反面、自己紹介の文面がおかしいな、と思って、手直しを加えました。

それにトップページを見返すと、最初の記事だけ全文表示というのもキモチワルイし、そういえばカテゴリ表示をはずしたままだったな、と気づいてそういったことも手直ししたり。

ああやっぱりブログの外観をみると時間がとられてしまうんだなあ。

たった一回みただけでこれですからね。微調整をくわえるように毎回確かめてたら、どんどん横道にそれていってしまうわけです。

結局ブログがいかに美しかろうと、大事なのはコンテンツですし、コンテンツを増やしていくこと、コンテンツを磨き上げていくこと以外にはたいした意味がありません。

われわれブロガーは、賽の河原で石を積む子供の亡者とおなじようなものなのです。

たとえ時代が変わって、亡者たちがおしゃれを知るようになっても、おなじ。

「最近の賽の河原はおしゃれになったよねー」といって、石の色をマーブルチョコみたいにしてみたり、鬼のもじゃもじゃ頭と角を虹色わたあめとジャイアントコーンであしらってみたりと、外観を工夫してみても、結局ひたすら石を積むことこそ賽の河原でやるべきことなのです。

われわれブロガーも、ひたすら石を積むようにして、誰かのために記事を書くのがやるべきこと。

ブログ20年計画とは

この見出しの「ブログ20年計画」という言葉はぼくが勝手に考えたんですけどね。

ちょっと自分のブログの収益について話します。

2年前にはじめたこのブログですが、1年前までの広告収益は、月にコンビニでおにぎりとペットボトルのお茶をひとつずつ買える程度でした。

それで今年の年始になってちょっとブログをがんばってみようと、リライト(これまで書いた記事を編集しなおすこと)を中心に取り組んでみました。

新しく書いた記事は半年でせいぜい50ちょっとしかないんですけどね。

それでも収益が外食のラーメン一杯分くらいに増えました。

けれど夏が近づいて、農繁期になるとさっぱり書く時間がとれなくなりました。

カラダが疲れると、頭も働かないのです。

ある程度集中しないとブログなんてなかなか書けませんから、どうしてもほったらかしになってしまいます。結局半年くらいまともに更新できない状態だったんですが、不思議なことにこの間、広告収益は下がることがなかったんですよ。

この結果をみて、ぼくはふとこう思った。

「ブログというのは短期で結果を出すのではなく、10年、20年という超長期のスパンで見ていかないとダメだ」

と。

ブログを将来への積み立て年金のように考える

月に一枚のお札にすら変わらないほどの収益のために、費やす時間はハンパではありません。

われわれ零細のブロガーはおおかた、膨大な作業量に対する見返りの少なさで、一度は無力感にとらわれたことがあるのではないでしょうか。

実際、今月の広告収入だけみても、とてもモチベーションにはなりません。

けれど、これからずっとコンテンツとして成熟した記事を生産していったとすれば、閲覧者数は徐々に増えて、そのぶん広告収入も上がります。

これを将来の自分に向けた積み立てだと考えると、ブログ運営の見方が変わってくる、というわけです。

20年後の目標について考える

ぼくの場合、20年後にはもう還暦を迎えます。だから20年計画。

もっと若い人は30年、40年計画にすればいいと思いますし、ぼくより年長の方は10年計画でもいいと思います。

その間に、ブログによる広告収入を「毎月〇万円」にしてやろう、と目標を立てる。

ブログだけで飯を食ってやろうというような人にはまったく物足りないと思いますし、その場合はぼくのこの記事はまったく参考になりません。

二十万も三十万も稼げるブロガーになろうと思うと、一線を越える必要がある。

よほどカリスマ性をもって世に問う作品を作り続けるとか、万人受けするマンガを根気よく毎日書き続けて積極的に宣伝するとか、誰も知らない有益なコンテンツを常に提供して耳目を集めるとか。

けれど、正直ぼくのような特別な才能のない人間が、自分ひとりの機動力でブログ収益を考えたときには、現実的な見通しはこんなもんです。

なにせ、一年のうち半分は仕事でいっぱいいっぱいなんですから。

けれど、20年かけてコンテンツを積み上げるとして考えれば、「月にひとケタの〇万円」を目指すことはできるはず。

それが老後になって、年金プラスアルファとなって返ってくるとしたら、どうでしょう。

月〇万円あれば、あるいは自分の一か月の酒代になるかもしれない。あるいはその数字が大きければ食費がすべてまかなえるかもしれない。あるいは、食費も光熱費もまかなえるかもしれない。

ブログを続けることで、将来の自分の生活の下支えを作る、と考えたら、どうでしょうか。

そうすることで、今目に見える収益が少ないということにとらわれず、かつ決して今取り組んでいることは無駄にならないということがイメージできると思います。

鬼はやってこないのか

と、いくら前向きでも、超長期でブログ運営を収益化しようなんて話になると、「ブログはオワコン(終わったコンテンツ)といわれてるのに大丈夫なのか」とか、「もう日本も情勢がどうなるかわからないのに」という声が聞こえてきそうです。

まあ、そりゃそうですよね。ぼくも将来のことはわかりません。

でも将来のことはわかりませんけど、自分がやるべきことはわかります。

ぼくはさっき賽の河原の話をしましたけど、あれは仏教説話です。賽の河原で親への逆恩(親より先に子供が死ぬこと)の罪を負った子供の亡者が、石を積んで仏塔を作ろうとしているんですね。

けれど鬼があらわれて、せっかく亡者が積んだ仏塔を壊してしまう。

なんという徒労でしょう。

けれどそのたびに、亡者たちは地蔵菩薩の救いを受けながら、またいちから石を積み始め、仏塔を作り続けるのです。

といってもこのような古くさい仏教説話を引き合いに出さなくても、人間社会というのはスクラップアンドビルドの繰り返しですよね。

たとえば、せっかく家を建てても、ほんの数十年で建て替え、建て直しになる。

たとえば、信じていた友人に金を持ち逃げされて、人生いちからやり直し。

たとえば、災害にあって生活の再建を余儀なくされる。

たとえば、高度経済成長期に一流企業に就職し、終身雇用を疑わなかった青年が、50代になったころ、突然降ってわいたような「リストラ」なる制度によって解雇され、やむなく警備会社に再就職。

……。

われわれの住む世界で、確実に約束された将来なんてどこにもありません。

常に将来は見通しづらいです。なにが起こっても不思議ではありません。

でもわれわれは恐れるより先に、行動するんですね。

地獄の鬼に自分の積み上げた石を壊されても、また気持ちを切り替えて積み上げていくんです。

どうしてそれをやるのかといわれたら、やはりそれは人生の安堵のためです。

人間は常に、自分の人生を安堵させるため、安住の地を見つけるためにがんばってます。

それは人間が社会的に生きるための本能といってもいいでしょう。

ぼくがブログを書く理由も、そういうところに根差しています。

今ぼくがここで書いている記事が、いずれ誰の役にも立たなくなっても、将来のぼくは新しい何かを書き続けていると思います。

さっきも言いましたけど、正直いってブログというコンテンツが20年後どうなってるかなんて、ぼくにはわかりません。

でも、少なくともぼくは「だからやめよう」というメンタリティではなくて、「それでもやろう」と思うことで、小さな勝算がみえてくるんじゃないかな、と思ってるのです。

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