まわりくどい痛みの話

自分が今抱えている痛みはだいたいこれくらいだと理解したら、もうそれに関しては甘んじて受け入れて、あまりそれ以上むずかしく考えないようにするのも、ひとつの手だと思うのです。

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なんの話かって?

いやね、思う通りにならないことってあるじゃないですか。

心のモヤモヤをどうしようか、という話です。

たとえば、失恋したとしましょうよ。

気持ちの上では、もう一度彼女に会いたい、なんてことを考える。

今までのわだかまりなんてなかったかのように、もう一度どうにかならないか、とクヨクヨメソメソ。

でももう会えません。

それで、さっさと気持ちに区切りがついて、平常運転……となれるんならいいですよ?

まあ、そうはなりませんよね。

思うようにならないことを受け入れるまでの間には、こんなはずはないんだと現状を否定してみたり、うまくいかないことに怒ったり、相手から何かアプローチがないかと奇跡に期待してみたり、何か別のことで気をそらそうとしたり。

そんな逡巡を、延々繰り返すことになります。

あるときには相手の幸せを祈るような偽善で自分の気持ちがごまかせるのではないかと考えてみたり、あるときには相手にわざと悪態をついて自分の気持ちをごまかそうかと思ってみたり。

しかしどのような働きかけも、結局のところ自分の心の痛みを消そうとするための悪あがきのようなものです。

なにをしたって無駄なんですよ。

この場合、自分の望みはもう一度やり直したいということですから、それがかなわない以上、心の折り合いなんかどうやったってつかないわけです。

それで本題なんですが、恋に限らず、生きていれば心にモヤモヤを抱えることなんかいくらでもあるわけです。

でもその都度、理不尽に対して心が暗黒面にとらわれて出口が見つからなくなる、というのでは困るでしょう。

そこで、冒頭に立ち返るわけです。

自分が今抱えている痛みはだいたいこれくらいだと理解したら、もうそれに関しては甘んじて受け入れて、あまりそれ以上むずかしく考えないようにするのも、ひとつの手だと思うのです。

どうせ痛みは消えない

自分から積極的に問題を解決しようとあがけるのであればいいですけど、ぼくにはぼくの事情もあります。

あまりにも個人的な話なのでボカして書きますけども、田舎で高等遊民のように生活している中では、どうしてもわきまえねばならないこともあるのです。

それでモヤモヤを抱えているわけですが、そういうことをわきまえずに気持ちのままに行動したら、諸方にご迷惑をかけることになる。

心がモヤモヤして不快だといっても、我慢できないほどでもありません。

そうとわかれば、もうこの苦しみは消えないものとして、辛抱して日常生活を送るというのが唯一の落としどころです。


ところでこのモヤモヤって、ほんとうはけっこう激しい苦しみだと思うんです。

子供がものをねだって買ってもらえないときにギャアギャア泣きわめくのって、あれは実際、ものごとがうまくいかないときに起こる心のモヤモヤは、子供であれば泣き叫ぶほどの苦しみなんですよ。

あのように泣きわめく態度は親へのアピールだと言ったりしますけど、それはあくまで大人目線でしかなくて、子供はほんとうに怒りやら悲しみやらがぐちゃぐちゃになって苦しみのあまり泣き叫んでいる。

でも大人になると体面もあるし、たいていの我慢ならない不満も、それなりにまあ自分の中で抑圧して、辛抱できるようになります。

なので、もうどうしようもないとわかったら、あとはなにかほかのことでごまかしたりもせず、あがくのでもなくて、ただじっとこらえながら生活するしかないのかな、と。

世の理不尽に対しても、そうやって対応していくしかない。

思うに、こんなふうに自分の気持ちを分解して再構築するまでもなく、自分の人生を振り返ると、どうにもならないことはいつも、辛抱しながら日常生活を送るしかなかったし、そういうことが今後も続くのだろうと思います。

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