脱アルコール依存へのホップステップ

なんでかわからないんですけど、ここ最近お酒を飲んでません。といっても、3日やめて、1日飲んで、それからまた今日で5日くらい飲んでないだけなんですけど、これまでこういうフラットな気持ちでお酒を飲まずにいられたことがありません。

とらわれる気持ちが少なくなってきたのかもしれませんが、大きな理由として前回お酒を飲んだ翌朝下痢をしたことで、「もうおなか痛いのはいらないなあ」と思ったことでした。

そんなこと、これまで何度も思ったし、イヤにもなっていたのですが、今回はなんとなく腑に落ちるような形で「もうおなかが痛いのはいらない」と思ったのでした。

つくづく思います。

自分の頭で理解することと、その理解を腑に落とすことはまったくベツモノなのだと。

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年齢の問題

そんでまた、この年になって、お酒がカラダにこたえるようになってきました。

ぼくはもともと大酒飲みでした。今でもいざ飲み始めると5合ほど飲みます。

ところで、お酒のアルコールをどれくらい摂取したか比較できる計算式があります。ごくカンタンなものです。

アルコール度数 × 飲んだ量(ml)= アルコールの総摂取量

です。

たとえば、ぼくは5日前、アルコール7度の焼酎ハイボールを6本飲みました。あれは飲み口がいいので、スイスイ飲んで、気づいたらべろんべろんになってますね(笑)

この場合、350mlを6本飲んだわけですから、2100mlです。

つまり、「アルコール7度 × 2100ml =14700」となる。

これが、3日前に飲んだぼくのアルコールの総摂取量です。

ちなみに日本酒の場合、アルコール度数はだいたい15度くらいですが、これを5合(900ml)飲んだ場合は、

アルコール度数15度 × 900ml = 13500

なんと5日前のぼくは、日本酒換算で5合以上も飲んでいたということになります。

これ、別に自慢してるわけじゃないですからね。酒豪とじぶんをくらべっこしてるわけでもありません。

「なにをたったそれっぽっちか。おれは毎日1升あけるぞ」

といわれても困ります。

お酒はドラッグです

若いころは、酒癖というものはあくまで飲んでいるときだけのことで、翌日に酒が抜ければそれで元通り、と思っていました。

ところがどうも、勉強していくと、そうではないということに気づいた。

たとえば、最初はしっかり効いていたパンツのゴムですが、自分が太るとともにガバガバに広がったとします。

このゆるんだゴムは、もし自分がやせてもまた元のゴムにはもどらないでしょう?

飲酒によって変化した脳も、同じように飲んでいなかったころには戻ってくれないのだそうです。

よく、断酒はできても節酒はできない、といいますが、ぼくも一度飲み始めると、どうしても以前飲んでいた量までは飲もうとしてしまうし、実際飲んでしまう。

お酒を飲み始めた若い時のように、ビール一本で酩酊してはくれないのです。

あれは若いころは「体がアルコールに慣れた」のだと思っていましたけど、そうではなくてアルコールに対するカラダの耐性と脳の依存が形成されていただけでした。

そうやって毎日の飲酒習慣を続けていくうちに、翌朝、午前中いっぱい二日酔いと下痢と倦怠感が続くのは当たり前になります。

これ、当然不快なんですけど、不快も当たり前になってしまうと気にならなくなるんですね。

それでぼくは今や立派な、プレアルコホリックです。

プレアルコホリックという言葉は耳慣れないかもしれませんが、完全なアルコール依存症の一歩手前ということです。

アルコール依存症の完成形は、連続飲酒です。

朝目が覚めたらまず一杯。それからダラダラ少しずつ酒を飲み、夜にはガブガブ飲む。当然そんな生活を続けていればカラダが持ちませんから、しばらくするともうアルコールをカラダが受け付けなくなります。

そうすると、しばらく飲まない日が続きます。

「それみろ、おれは飲まずにいられるんだ。だからおれはアル中ではない」といって、しばらくすると体力が回復する。

そうするとまた連続飲酒です。これがアルコール依存症の最終形態です。

作家の中島らもは自身もアルコールを含めた複数の薬物依存を抱えていましたが、立派なアルコール依存症になるためには内臓が頑丈でなければいけない、という奇妙な理屈をこねていました。

たしかにあの刺激物であるアルコールを延々飲み続けようと思ったら、依存による快楽だけでなく、徐々に大きくふくれあがる苦痛に耐えられる肉体の器がなければならないと思います。

連続飲酒は、ぼくの親父がたどった道でもあります。

ホップステップジャンプ

酒飲みというのは遺伝しますから、ぼくが酒乱で連続飲酒に走る可能性はじゅうぶんあるわけです。

親父のアルコール依存は、ぼくにとっては大きなわだちとなっていますが、おかげで大酒飲みではありますが、「お酒は夜だけ飲む」というルールだけは守れています。

しかしそれも、お酒を飲み続けていれば、いつ逸脱するかわかりません。

数年前から何度か、お酒をやめようと思って実践してみたことがありました。

2か月続いて、一年飲み続け、その次2週間。もう一回2週間ほど。

それ以外は、3日に一回飲むというようなペースにしてみたり、まあいろいろ工夫はしたけれど、今回のように、別にアルコールはもういらないかな、と思うほどさっぱりした気分ではありませんでした。


そういえば田代まさしさんがまた覚醒剤で捕まったというので、あの薬の依存性も相当高いのでしょうね。

でもSNSをみていると、ある人がこんなことを言ってました。

最初につかまってから、2回目の逮捕、3回目の逮捕と、徐々に逮捕までの期間が長くなってるということは、それだけやめていられる期間も長くなってきたということ。ただしく治療を続けていれば、次こそはやめられるかもしれない、と。

この考え方は妙に心に残っています。

ぼく自身もアルコールに対して、何度も何度も取り組んでは挫折。

いわゆる「底つき」をするほどのアル中ではないので、挫折というとおかしいかもしれないんですが、やめたいと思ってやめられないという意味では同じです。

「底つき」というのは、酒害によって家族をとことん傷つけたり、自分のカラダがボロボロになったりして、もうこれはどうにもダメだと自覚する、底まで達するということです。

うちの親父も含めて、アル中の諸先輩方をみていると、ぼくはまだ手前にあると思いますが、このまま飲み続けていればいずれ追いつく道だと思います。

それでも、なんだか毎回毎回、お酒を飲むのをやめるたびに、もういいや、という気持ちが少しずつ強くなってきている気はするし、逆にアルコールにとらわれる気持ちは少しずつ減ってきている気がします。

田代さんもきっとそのような道をこれから模索なさるんでしょう。

つまり、ホップステップジャンプなんですよ。いつか大きくジャンプできるまでは、ホップステップなんです。

もっと正確にいえば、ホップステップホップステップステップステップホップステップホップホップステップホップステップステップステップジャンプ、でもいいわけです。

「いつジャンプするねん!!」

とまわりからツッコまれたとしても、最後のジャンプを目指しながら、なんどもなんどもホップステップを繰り返して、あきらめないでいれば、どこかでジャンプできるんじゃないかな、と。

気構えの面でもそれくらいがラクだと思います。


しかし、今回はじつに不思議で、ほんとうにお酒を飲みたいという気持ちそのものがわいてこないんですよ。

不思議、ほんとうに不思議。

まあ、このまま酒を飲まない習慣がつけばよし。また飲酒習慣が逆戻りしたら、また断酒に向けて取り組みます。

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