炎上の正体と対処法

ネット社会が形成されて「炎上」という言葉ができました。

これはそもそも、モノが燃えあがることをあらわす言葉です。

「人が炎上する」というような言葉は、インターネットが発達するまでは使われませんでした。

では、インターネットにおける炎上とはなんなのか。

とりあえずウィキペディアで調べてみたら、こんなふうに書いてあります。

炎上(えんじょう、英: Flaming)とは、インターネット上において、不祥事の発覚や失言・詭弁などと判断されたことをきっかけに、非難・批判が殺到して、収拾が付かなくなっている事態や状況を指す。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター助教授の山口真一は著書の中で確立した定義は存在しないとしつつ、人物ないし企業が発した言動や行為に対して、インターネット上で批判的な発言が多数寄せられることと定義づけている。損害は心理的、経済的なものが発生しうる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%8E%E4%B8%8A_(%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E7%94%A8%E8%AA%9E)

言葉の意味としてはそのとおりですけど、どうも釈然としない。

「確立した定義は存在しない」と書いてありますけど、定義というようなこむずかしい言い回しで説明するのでなければ、なんとなくこういうことだろうという説明はできます。

ぼくなりに言いますよ。

炎上というのは、これまでは家の中だとか居酒屋だとかでその場で消費されていた文句が、インターネット上で言語として記録されるようになり、とりわけSNSで「いいね」や「リツイート」などの形で拡散され、その数字が記録されることで巨大な世論となり対象を攻撃するもの。

ウィキペディアでは「収拾がつかない」とありましたが、収拾のつかない人間の感情が、インターネットでは巨大な塊となりうる。そしてときにはエスカレートして、実生活にまで害を及ぼすことにさえなりうるのです。

たとえば刑罰を問いにくい悪質な犯罪がネット上で炎上すると、犯人の家族から友人まであっという間に突き止めてさらされることがあります。住所までわかればその住所に向かう人があらわれ、電話番号がさらされれば一日中その家に電話が鳴りっぱなしになる。

しかし、攻撃している人にとっては、巨大な力で攻撃しているという意識はないでしょう。

「わたしはもちろん腹が立ったけれど、たった一回、石を投げただけだ。責任があるとしても、石を一回投げたぶんの責任しかない」というはずです。

しかし攻撃を受けた側は、無数の石ツブテでコテンパンにされてしまう。

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なぜ炎上が起こるのか

炎上を、その言葉から考えてみると、わかりやすいかもしれません。

たとえば、なんにも持っていない状態で「さあ、今から火を起こして、山火事を起こしてみせてください」といわれたらどうでしょう。

おそらく途方にくれるでしょう。焚火程度のものならどうにか作れるかもしれませんが、それをどうやって山火事にまでできるのか、というのも考えてみるとむずかしい。

意外と、意識して炎上させるというのはむずかしいんです。

家でテレビをみて、芸能人のふてぶてしい態度に文句を言ったとします。でもその小さな炎は、家の中ですぐ鎮火してしまうんです。

居酒屋でも同じで、「あの事件の犯人、許せん。攻撃してやりたい」と叫んでも、ツレから「まあまあ、殺気立ちなさんなや」となだめられて終わり。

そんなその場限りの炎をどうやって、全国規模に炎上させられるでしょうか?

これまではそういうことはメディアの役目でしたし、個人ではどうしようもありませんでした。

ところがインターネットの場合は、これまでその場で鎮火していた個人的な怒りの小さな火を集めて、とてつもなく大きな炎にして、山火事を起こすことができるようになった。

いざ山火事が起こると、そこにわざと風を送る者、さらにガソリンをまく者、ぜんぜん罪のない人間を火事の中に放り込む者など、それこそ収拾がつかない事態になります。

インターネットという「集合知」。人間の知性が集合する性質を持つインターネットだからこそ、炎上が起こるのです。

じゃあどうすればいいの?

ネット上で炎上している炎は、熱くない

さっきも言いましたが、家族の暮らしにまで影響が及ぶような炎上になると、それは大問題です。

が、ネット上で100万人の人間がぼくに悪口を言ったとしても、それは「まともに受け止めさえしなければ、痛くもかゆくもない」のです。

ただぼくは、人の意見に耳を貸さず、無神経に生き続けるのがただしいとは思っていません。

たとえば今、SNSでは右翼と左翼が社会問題でわあわあ言いながら、お互いを攻撃しあっています。

お互いにお互いの正義があり、どちらも自分の仲間や自分の正義のために戦って、まわりがどれだけ考えの間違いを指摘しても、耳を貸しません。

耳を貸していないから、いくら炎上しても当人の心にまったく響いていないし、態度を改めるような真似もしない。融和的な姿勢もみせません。

ぼくにはどうも、そのようなネット上の悪癖が政治にも飛び火して、どこの政党も自分の非を認めず異論を許さず、人の意見を聞かないから自浄作用もはたらかず、仲間にだけ厚遇する姿勢につながっているのではないかと思うのです。

だから一面で見れば、炎上の対処法は、「気にしないこと」ということになります。

たいていの場合はそれで乗り切れてしまうし、人の意見を無視してしまえば自分の考えを変える必要もありませんしね。

でもほんとうは、そういう他人の意見を認めないかたくなな態度からもうひとつ先の、「それでも相手の話を聞く」というところに到達できるかどうかが、炎上の向こう側にあるものだと思います。

三島由紀夫が東大に乗り込んで全共闘と議論したように、激しく対立する問題の中へ、炎上の中にあえて突っ込んで身を焦がすような思いをしないと、深い理解に至らないこともあるんじゃないかと思うのです。

筒井康隆さんの語る炎上

今日、こんな記事をみかけました。

「炎上を怖がっちゃいけない。電源を抜いたら消えてしまう世界です」――筒井康隆85歳が語る「表現の自由」

https://news.yahoo.co.jp/feature/1508

(中略)

「パソコンがどんどん進化していくでしょう。使いこなすだけで大変な知性がいると思っていたんですよ。ところがみんな使えるようになった。それでエモーショナルな側面の全く欠けた、非道徳的な人間までがネットに現れた。Twitterにも大量に馬鹿がいますね。『朝のガスパール』は、ASAHIネットで自分のオンライン会議室をもらって、みんなを集めてワーワーやってたんです。あの頃パソコンで会議室に入ってくる連中は、ある程度の教養も品格もありました。ただそれでも、会議をやっているうちにおかしくなっていくやつが何人か出てきて、一人は入院してしまった。その時、ちょっとおかしいなと思い始めたんです」

(中略)

「作家は頭の中を無政府状態にして書かなきゃいかんですよね。無政府状態だからいろんなものが出てくるわけだし、弾圧されたら、それに抵抗しようとしてまたいいものができる。『あの人に迷惑がかかるから』と気にし始めると、作家がだんだんいい人になって、何も悪いことはしない、変なことは書かない。人は、そういう作家の書いた作品を読みますか。面白くないでしょ。やっぱり読まれるのは、何かやばいことが書かれていそうだったり、タイトルを見てハラハラドキドキしたりするもの。不愉快なものを愉快がる人もいるわけです。糞尿愛好者だっているんだから」

この中でぼくが気になったのは、インターネットが登場してしばらくすると「エモーショナルな側面の全く欠けた、非道徳的な人間」が目立つようになったという点。

そして最初のうちに保たれていた教養や品格が崩壊し、そこにとらわれたことで入院する者まであらわれて、「おかしいなと思い始める」ことになる点です。

つまり、現実社会ではエモーショナルで道徳的な態度をとっている人が、最初はインターネットにもそのような態度で接するのだけど、だんだんとおかしくなっていくんですね。

インターネットでは情緒も必要なく、非道徳的でもいいんだ、と解釈して、そのようにふるまう人間が出てきて、逆にそういった考えに戸惑い、神経を削られる人も出てくるようになる。

そしてそのようなおかしなインターネット世界で、筒井さんは頭の中を無政府状態にして表現をし、ものの見事に炎上するわけです。

そんなときでも「不愉快なものを愉快がる人もいる」といって物事の裏側を見続ける筒井さんにとっては、インターネットという自由な表現の場はあつらえむきなのかもしれません。

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