ねずみ講にはまった知り合いの話と、インチキ商売にひっかからないようにしよう、という話

世の中には、プレイヤーになりたがる人がいるものです。

つまり、ばくちでいうところの胴元であり、ねずみ講でいうところのセミナーを開催する側の人間ですね。

プレイヤーは、人間を使役して金を吸い上げます。そしてこういう人はたいへん悪知恵がはたらいて賢いので、それら使役できる人を洗脳して、あたかも自分たちもお金が稼げるんだと錯覚させるのです。

ばくちの場合は人の射幸心を直接刺激するわけですが、ねずみ講の場合は、「がんばったらがんばったぶん稼げますよ」というようなやり方で、なにかに貢献したような気持ちにさせるぶん、余計に性質が悪いですね。


ねずみ講の仕組みについて聞いたことがある人は多いと思うんですが、あの名前の由来はねずみが子供を産む様子、ねずみ算からきているそうです。

まず、いちばん最初の創始者が10人を勧誘する。その紹介料としてたとえば1万円を受け取ると、上のひとりが10万円儲かります。

その10人がそれぞれ10人ずつ従えて、紹介料を受け取ります。その紹介料のはんぶんは紹介者に。あとのはんぶんは創始者に入るようにして、そこから合計の勧誘人数の多い上位者から順に割り当て分配するのです。

具体的には「この会に参加して、最初にお金を支払い、ほかの参加者を10人呼び込んでいけば、そのあとは自分が紹介した10人がほかの人を紹介してきてくれるから、紹介料が無限に振り込まれ、その額はどんどん大きくなっていきますよ。不労所得が得られるのです」というのです。

ところがこれ、よく考えればこれ最初から破綻がみえてるんですね。

最初の1人が10人を誘い込む。

その10人が10人を誘い込んで100人。

100人が10人を誘って、1000人。

1000人が10人誘って、1万人。

1万人が10人を誘って、10万人。

10万人が10人誘って、100万人。

100万人が10人誘って、1000万人。

1000万人が10人誘って、1億人。

たった8回の繰り返しで、日本全国民がねずみ講に加入する計算になる。

それでは仮に飽和状態になったあとは、不労所得はどうなるのでしょうか。

ねずみ講という名称で有名なこの犯罪は、正式には無限連鎖講といって、人口が無限であることを前提にした儲け話です。ところがこれが実際には無限ではない。

入会金が永久に入ってきて分配されて、不労所得になるというのですが、人口が有限である限りこれはどこかで確実に頭打ちとなります。

そうすると下位の会員は損失を被ることになるし、どこかでシステムそのものが破綻します。

ならば最初から破綻することが前提の仕組みをなぜ立ち上げるのかというと、法整備がなされていない間であれば、発起人は先行利益を得て、狡猾に逃げ切れるというビジョン(悪意)があったからでしょう。


そういえば昔、インターネットのオークションサイトで情報商材が高額で販売されていることがよくありました。

これは笑い話の類として当時出回っていたんですが、「だれにでもできる! どんな人でもカンタンにお金儲けができます。一日10万円も夢じゃない!」なんて情報商材が、1万円で売られていることがあったそうな。

それを購入すると、ほんの短い文章の商材が入っていたというのです。内容は以下のようなもの。

「わたしとおなじ情報を10人に売るだけで、10万円になります。あなたが購入したのだから、ほかの人もきっと買ってくれます」


今回、どうしてこんなことを話したのかというと、ずいぶん昔、ある知り合いがねずみ講にはまって、ぼくにまで勧誘をはじめたことがあったからです。

結局そのときは殴り合いのケンカにまで発展しました。

ここから先は、後年になって、その知り合いとぼくとの共通の友人から聞いた話です。

彼はその後、絶対に成功してやるといってタンカをきって家を飛び出し、ひとり暮らしをしている仲間と共同生活を始めたようですが、結局うまくいかなくなったようです。

とうとう借金生活にまで転落し、何日もまともに飯が食えないほどの窮地に陥り、それを風の便りで聞いた家族が彼を無理やりねずみ講の世界から引き戻すに至ったのです。

げっそりとやせ細った彼はまだ儲け話の洗脳から解けていない様子でしたが、その後ふつうの会社員として暮らしを建て直そうと努力し、結婚をして、子供ができました。

そして何年もして友人が彼になにげなくねずみ講をしていたころの話をしたら、「もうあのときの話はやめてくれ。今は家族を幸せにするためにコツコツ生きてるから」と言ったそうです。

そのエピソードを聞いて、ぼくも安心したものです。

あのときの彼をいいように言えば、人生を成功させたいという熱意が強いぶん、その熱意を利用されたということになるのでしょう。わるく言えば、コツコツ日々を生きることをないがしろにして安易に成功をもくろみ、虚業に手を出して知り合いまで巻き込もうとした、ということになります。


ねずみ講は明確な犯罪ですが、仕組みとしてグレーなものはいまでもたくさんあります。

たとえば、「じぶんはカリスマである」とでっちあげて成功者をよそおい、あたかもみんながじぶんのようにカンタンに金持ちになれるかのように吹聴しながら、実際には胴元しか儲からない情報教材の講座を開いて、参加料をとって仲間を増やそうとするようなものもあります。

まあ、この手の話はいつまでたってもなくならないですね。

石川五右衛門の辞世の句じゃないけど「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」というのはある種の真実です。

海辺の砂粒がなくなるということはあろうとも、世の中からだます人とだまされる人がいなくなることはありません。

だから悪賢い人間は、社会からいくら非難されても、なにもしらない人から金を巻き上げるような不誠実な真似をいつまでもやるのです。

彼らのターゲットは、なにも知らない、純粋でお金儲けに興味があって、熱意の強い人です。

そういう人が0.1パーセントでも引っ掛かってくれれば金儲けになるとわかっていて、プレイヤーとなって人を使役するのです。


ところで、どうしてこんなピラミッド型のヒエラルキー、つまり使役の関係で成り立つインチキがいつまでもなくならないんだろう、と思うんですが、これは少し人間の文明の歴史と関係があると思ってます。

日本で言えば、江戸時代には藩があったでしょう。

それぞれの藩にはお殿様がいて、それが領民の暮らしの中ではいちばんえらい人なわけです。それで、お殿様は領民を統治してあげるという名目で、領民から年貢をとりあげます。

ところが、このお殿様も日本を統治する江戸には頭があがりません。参勤交代で家族を人質にされるし、江戸に吸い上げられるお金のせいで領土を豊かかつ強靭にするのもむずかしい。

江戸幕府は、各藩の城主をお殿様として土地を統括する権力を与えるけれど、その権力はあくまで幕府から与えられたものとして、反逆させないように財力を奪い、人質をとり、臣従関係を求めたのです。

このような領土と臣従関係を結び付けた関係を封建制度といいます。

明治以降封建制度がなくなったといっても、やっぱりわれわれはなかなかこの仕組みそのものから抜け出してものを考えることができないようです。

日本の会社における社長とか重役とか、上司の言うことは絶対というような序列も、完全に封建主義ですよね。

亭主関白で「だれが稼いでると思ってるんだ」なんて言いながら家族を抑圧するような父親のことを「封建的なオヤジ」なんて言ったりもします。

結局われわれはどうしても心理的に、長いものになりたがり、反面長いものに巻かれたがる性質があるようです。

権威的なものにひれ伏してしまうほうがラクで、序列があって当たり前だと思うところがあるでしょう。

そういう意味で、ねずみ講のようなピラミッド構造や、カリスマを用いた情報講座にはまってしまう人が出てしまうのは、封建的なものの考え方と深い関係があると思っています。


まあ、いずれにせよ世の中にはいろんな儲け話がありますけど、結局この社会で逸脱せずに生きていこうと思ったら、つつましやかな暮らしの中で、ちいさく積み上げていくしかないんだと思います。

そういう地道な生き方に喜びが得られるかどうか、ということも重要だと思います。

ぼくも昔は儲け話で一攫千金なんてことに目がくらむこともあったけど、結局自分という人間を振り返ってみたら、人を踏み越えていくような競争心の持ち合わせもないし、プレイヤーになれるほどかしこくもなく、コツコツ生きるしかないのだなとつくづく思うようになりました。

そのぶん、せめて知性を積み立てて、人の悪意につけこまれないようにだけはしなきゃな、と思っている次第です。

みんなも安易な儲け話や、さりげなく潜む悪意につけこまれないように気を付けましょうね。

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