ひとりで悩んでいるとき、どのように気持ちを切り替えればいいのか考えてみた

ひとり暮らしをするようになって、独り言がふえました。

じぶんでも不思議です。

どうしてこんなにブツブツブツブツ何かをつぶやいているのだろうと。

そしてしばらくすると、ブツブツ言ってる自分に疑問を持たなくなってきました。

ふと気づくと、スーパーで買い物をしながら、小さな独り言をしている自分がいることに気づいて、「あ、どんどんわきまえがなくなってきてるぞ」と思うこともあります。

人がたくさんいるところでもお構いなしに独り言を言ってるじぶんは、これから老人になっていったとき、往来でずっとなにかを叫んでいるようなことになりやしないだろうか、と不安になるのです。

でもどうして独り言を言うのかというと、じぶんの考えを言葉にすることで、まとめようと思ってるんですよ。

なにかひとつの、きちんとした形にしようと思って、言葉を発する。

ほんとうはそういうことは、だれか近くにいる人に向かって言いたいし、相手の意見なども参考にしながら自分の考えを整理したいんです。

でもそれがかなわない。だから、独り言でどうにかじぶんの考えを整理することとなる。

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悩み事

先日、田舎のとある自治事業の会員にえらばれました。

「かんたんな仕事だから」

と前任者にいわれ、ぼくも自治会に参加している以上責任を負うのは当然だと思って請けたんですが、いざ会に出てみると、最初に会長と副会長を選出するというんですね。

それは広域の自治会の中から選ぶんですが、ぼくはこれまで自治会長などをしたこともなければ、今回の自治事業に対する受益もほとんど受けていない人間で、当然会長や副会長になれる資格を持ち合わせていません。

ところがなんと、会に出席したほとんどの人が、ぼくとおなじように会長や副会長業務が負えるような人ではなく、唯一請け負えそうな人はもう80代も半ばで、開口一番、もう勘弁してくれとおっしゃる。

そんな中、合議で会長と副会長を選出するという、針のむしろのような会議が始まりました。

3時間にわたる沈黙の末、とうとう話し合いでは決着せず、投票で決めるということになりました。

そうするとやっぱり、年長者が選ばれてしまうんですね。ぼくも、結局ご高齢のその人に投票をしました。

「あれだけ無理だといってるのに、わしを選ぶ。なんでみんなそんなことができるんだ」

とその方は怒りをあらわにしました。

ぼくがやったことは人でなしの所業だと、つくづく情けない気分でした。けれど、責務を請け負える人がその人しかいないのだからどうしようもありません。

逆に、ぼくのようなそもそも長たりえる資格のない者がこのような会に出席しなければならないことそのものがおかしいのだ、というぼくの怒りもあります。

この問題は、人間が悪いのではなく、制度に問題があるということです。

昔は問題なかった

これ、30年くらい前までさかのぼれば、田舎のこの自治事業は直接的に受益がある人が大半だったんです。

だから、名簿順に適当に人選をしても、組織の中核となる資格はみんなあった。

ところが最近ではこの自治事業の受益がなく、実質的に長なんて責務を負う必要がない人や、なにをしていいのかすらわからない人が大半になってきました。

時代の流れですね。ぼくもこの中のひとりです。

ただ、人口減少の一途をたどる限界集落で、自治の名目でともかく名前を貸してもらう、ということが慣例となり、そういうことが現在になって弊害として、このような形であらわれたのです。

ぼくはそれで、考えるんですね。

もう時代に合わせて、中核メンバーをより厳密に定めて、組織の長たりうる人がまず選挙の場に出席し、合議の上で長を選出し、会員はそのあと改めて名簿順に選出するのが妥当なのではないか。

しかしそういうことも、ペーペーで無役の人間がなにを主張したとて説得力があるとは思えません。それでも、このようなことがいいとは思わない。

かくしてぼくはブツブツブツブツ。この数日間、折り合いのつかない感情を抱えながらずっと独り言に明け暮れているような次第です。

もしかしたらこのようにして人間の心は壊れていくのかもしれないな、と思います。

気持ちをどう切り替えるべきか

そういうことで悩んでるうちに、どうしても考えが行き詰って、昨日はひさしぶりにがっつり酒を飲みました。なにか気持ちが切り替わるのではなかろうかと期待したのですが、結局二日酔いになっただけでした。

それどころか、飲酒の口実をそういうところから得たことの後悔のほうが強く、いい気分とは思えませんでした。

酒を飲んでも気持ちの切り替えにはなりません。

で、長風呂に入ってみたり、仕事で気を紛らわしてみたりするんですが、結局どこかで悶々としてしまうんですね。

それで、もうどうしようもないので、これはちょっと一日真正面から取り組んでみようと思って、ぶつぶつぶつぶつ言いながら、考えてみました。

モヤモヤを少し先送りにするという考え方

それでわかったのが、以前にも記事にしたことがあるんですが、まずモヤモヤはモヤモヤのまま抱えるしか仕方ないということです。

まわりくどい痛みの話

で、次に理解できたのは、モヤモヤのまま抱えたことは、休憩をはさみながら少しずつ糸を解きほぐすように解決策を考えるのがよいということでした。

じつはこの休憩こそが、気持ちの切り替えということなのだろうと思います。

ぼくはこれまで、イヤなことを忘れるために気持ちの切り替えが必要なのだと思っていたのだけど、気持ちを切り替えてもイヤなことはまたすぐにぶり返します。

モヤモヤが一時のおもしろいことで消えたりはしないんです。

だから、気持ちを切り替えるというのはじつは、モヤモヤについて考えることを少し先送りにしているということなんですね。

そういうことで問題から目をそらすのではなくて、別のことを挟んでいったんモヤモヤについて考えることを休憩。

そしてまた考え事に取り組むというわけです。

気持ちの切り替えの意味がわかったことで、ちょっと気持ちの整理がついたように思えました。

結果

で、結局そのようにして少しずつ考えていくうちに、このような結論に至りました。

「自分が組織の中核としてお役に立てないから、このような形で人を傷つけなければならないことになった。今後、このような会は安請け合いせず、自分にしっかりと肩書がついたり、立場を得られるようになってから参加するように、意思表示しよう」

と。

ここまでぶつぶつぶつぶつ考えて、理論武装してようやく、得られた結論です。

……もう、だれかに抱きしめてもらいたいよ……( ;∀;)

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