【青天の霹靂】父が倒れる

カブなんですが、今年の最後に栽培したものが、非常にできがよくて、これまでの栽培のやり方にさらに改良の余地があるのだなあと、あたらしい気づきがありました。

と、まあなにをどうしたかということはまた後日おいおい記事にするとして、今日は少し気持ちの沈むことがありましてね。

父が肺炎で入院したというんですよ。

かかりつけの町医者に行くと風邪だろうということで抗生物質をもらって飲んでいたらしいんですが、これが災いして、どのような肺炎かということが特定できないんだそうです。

それで母がぼくに心配かけまいとしばらく連絡していなかったんですが、入院が少し長引きそうだということで今回連絡があったんですね。

それでもまあ2週間以内には退院できるだろうということで、心配ないといわれたんですが、電話を切った後しばらく、あることについて考えました。

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実家に帰る日がくるのかもしれない

ぼくは長男なんですが、今後おとずれるであろう親の介護という問題を先送りにしながら田舎暮らしをしている状態です。

すこし、ぼくの事情をお話しします。

ぼくは以前にも百姓をしていましたが、どうしても販路が足りず、生活をこのまま続けていくことに不安を感じ、父であれば年金と農業収益で豊かに暮らしていけるので、母の仕事が定年になるまで、田舎で暮らしの道筋をつけるという形でバトンタッチしました。

そんなぼくが2年前にまた大阪から綾部へ行って田舎暮らしを再開したのは、単身で田舎暮らしをしていた父がその前年にアルコール依存症で入院したことと、その翌年、断酒を続けながらまっとうな生活が送れるようになってきたからです。

父は大阪にいたころからたまに隠れて昼間から酒を飲む悪癖がありましたが、田舎に行くことでいっそうアルコール依存が深まり、どんどん家族の思いとは違う形の田舎暮らしをするようになってしまいました。

正直その当時の父とはまともに家族として生活することはできなかったし、このまま最悪田舎で酒を好きなだけ飲ませて死なせてやるしかないのか、というあきらめさえあったほどです。

当然とても田舎で家族一緒に暮らすというような計画は進むはずもありません。

けれど父が断酒を続けたことで、これを機にぼくは、もう一度家族で田舎暮らしをしていくことができるのではないかと思いました。

最低限ぼく自身が食べていける稼ぎがあれば、親は年金暮らしでやっていけるし、こっちならご近所づきあいも活発だし、親の老後の面倒もみながら、楽しい暮らしができるはずだというビジョンを持っていたのです。

その当時大阪の実家では高齢の祖母が施設に入所していたのですが、余命が一年あるかないかという見通しが立っていた状況でした。

ぼく自身はそのころ、健康状態に問題があってきちんと仕事をすることができず、家事や家族の問題を解決する橋渡しなどをおこなっていました。

そんな中、父にはじぶんの親を大阪で看取る時間をつくってもらいたいし、大阪であればアルコール依存症の自助グループもあり、田舎のように飲酒の誘惑が多いわけでもない。

そこでぼくがもう一度田舎暮らしをすることで、父には大阪での暮らしを中心に、田舎にも来てもらっていっしょに百姓をしようという話をしました。

ところがいざぼくが暮らし始めると、父はそのまま大阪に帰ってしまって、いったん百姓仕事は休ませてもらって、ぼくにひとりで田舎で暮らしてほしいということになったのです。

さあ困りました。

父はぼくが田舎にいたころと違って大きな野菜の販路をひとつ得ていましたが、正直いきなり百姓で生活が自立するとは思えません。

そこで、3年間最低限の援助を受けながら生活をする方向で話をまとめたのです。

それでこれまでは親に「いずれぼくが自立すれば、一緒に田舎で暮らせる選択肢もできるから」といっても、親はうんうんと聞いていたのですが、今年の秋になって「やっぱりわたしたちは大阪で暮らそうと思う」とぼくに話したのです。

ぼくはそのころから本格的に、親の介護とじぶんの暮らしということについて考えるようになりました。

生活の自立のめどが立ってきたのだから、やっぱり百姓でやっていけるのであればやっていきたい。

人生百年時代で、親はきっとまだまだ元気でいることだと思っていました。そうすると、大阪にぼくが帰って同居するとなると、せっかくの夫婦水入らず、逆に迷惑かもしれない。

そうすると、実家に帰ることを検討するのは15年先か、20年先か、なんてことを考えていたのです。

そしてできるだけ長く田舎で暮らしているうちに、別の展望も見えてくるのかもしれないけれど、やっぱり親の面倒をみるのはぼくの役割なのだろう、ということを逡巡していました。

そんな矢先に、父が肺炎で入院したという一報を受けたというわけです。

問題は、父だけではない

この問題、肺炎になった当事者の父だけではなく、むしろ母やぼくの妹にこそ影響があると思っています。

母と電話をしていると、これまでぼくが田舎暮らしを続けることを希望していたのが、どうにも弱気になっているようでした。

ぼくが今後の親の老後について話をし、ぼくは長男なので親の面倒をみる責任がある、という話をすると、いつもなら「今は大丈夫」といっていた母親が、「そうやなあ」といつになくあっさり受け止めるのです。

ああ、これはもう母親の案件なのだと思いました。

父が肺炎になって入院しているときに、もう結婚してよそで暮らしている妹がやってきて、「今後のことを考えたら、わたしの家の近所に引っ越して来たらいいんじゃない?」という提案をしてくれたようです。

それで母は、じぶんたちが子供たちのうち、だれに老後の面倒をみてもらうべきなのかを真剣に考えたようでした。

もう夫に嫁いで名字の変わった妹を頼りにするのではなく、長男のぼくに頼るのがスジだという思いもあるのかもしれません。もしそのぼくが、親の面倒をみるというのなら、それを否定する理由はない、と思ったのかもしれません。

妹もまた、親に近くで暮らしてもらえばスープの冷めない距離で老後の世話をしてあげることはできると気遣ってくれたのでしょうが、そうすると長男のぼくは田舎で親を放っておくのか、という思いにもつながるでしょう。

だから、これは妹の案件でもあるのだと思ったのです。

父の問題

アルコール依存症で倒れて以来、父は一見なにも変化がないようにみえながら、ものごとを始めるのに対して非常に腰が重くなりました。無気力で、じぶんから楽しみを発見しようという気持ちが減っているように思えました。

そういった目に見えない変化によって、父は田舎で暮らそうという気力をうしなっていったのかもしれません。

今回の肺炎も、ずいぶん長い間父はせきをしていたようです。母はそれをなにかおかしい、イヤなせきだと思っていたらしいのですが、大きな病院で診てもらうことをすすめても、父は病状が深刻になるまでかたくなに断ったのだそうです。

ぼくが実家に帰ったら、そういうときにべつの判断をすることもできるのかもな、という気もします。

まだなにも決まってはいない

ぼくはいまこのようなことを考えていますけど、まだなにも決まったわけではありません。

このあと、田舎暮らしを放棄することもなく、親のこともうまくやっていける妙案が浮かぶかもしれないし、ぼくが想像しているのとはぜんぜんちがう形ですんなりおさまるかもしれない。

でもそれはきわめてイレギュラーな話だし、ぼくは今後、数年かけて実家に帰ることを視野に入れながら、じぶんの人生の行く末を決める必要があるのだろうと思います。

でも、父が元気になった場合に、どういう形で話を進めるべきなんだろうな、ということが今のぼくの懸案事項なのです。

先送りにしようと思えばどこまでもできる話だからこそ、きちんと道筋をつけたほうがいいと思うんですよね……。

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