餃子って完全栄養食だよね

このところ餃子を食べるのにはまっています。

なんでしょうね。オッサンになると餃子が好きになるスイッチでもあるんでしょうか。

ぼくはもう外食をぜんぜんしなくなったんですが、むかしは中華料理屋に行っても餃子なんかいらないと思ってたくらいなのに、いまもし行ったら、なにか主食になる一品と餃子を頼んじゃうだろうなあ。

じぶんで作ったら最高においしいし、冷凍食品の餃子もおいしい。やすいチルド餃子だって大好きです。

個人的にはニンニクがきついよりは、ほかの野菜がたっぷり入ったものがよいですが、まあそんなこともどうだっていいです。

餃子はうまい。

で、あるときふと思ったんですよ。餃子って完全栄養食だよなあ、と。

野菜、炭水化物、肉がぜんぶ一粒の餃子に集約されてるわけですよ。

われわれは餃子を中華料理のおかずとして食べますが、アジア全体でみていくと、餃子は主食で、それだけで食べるというところが多いようです。

ようするにあれは、お総菜パンのパンの部分が小麦粉の皮のようになったものだと思ったら、そりゃまあ主食のようにも思えます。

でもやっぱりなんだか、餃子だけで一食おしまいというのはなんだかさびしい。

どうしてもラーメンやチャーハンが隣にあってほしいのだなあ(笑)

レクタングル大広告




手抜き餃子のむなしさ

ぼくは百姓なので、いちいちよそで買わずとも、白菜もありゃキャベツもある。ニンニクもあるのだから、じぶんで作ればいいんですよね。

でもそれがまあ、ひとり身の機動力のなさ。

餃子をつくるときにいちばん手間がかかるのは、包む作業です。

あんを作るのは正直たいした手間じゃなくて、フードプロセッサーを使えばあっという間にできあがります。

問題は皮。これを買っておけばラクなんですけど、この餃子の皮がクセモノなんです。

餃子の皮は、今日は餃子を作ろうと事前に決めてから買いに行かねばなりません。ひとり暮らしをしてると、そういう計画性がことごとくなくなります。

思いついたときに思いついたものを食べるのと、ド田舎に住んでて最寄りのスーパーに行くのも車で15分かかります。

日持ちのしない餃子の皮を買い置きしておくわけにもいかないし、買ったはいいけどやっぱり面倒くさいからやめた、なんてことをぼくなら平気でしてしまいそうです。

かくしてぼくは餃子の皮を買うことを断念してしまうというわけです。

餃子の皮がないなら、あんだけを焼くというのでもいいんじゃないか、と思って試したことがあります。

が、不思議なもので、あの小麦粉でできた皮がないと、どうしてこんなにつまらない料理になっちゃうんでしょうね。

あの皮であんを包むという手間のかかる工程に、いったいなにがあるというのか。

一度、溶かした小麦粉でクレープのように焼いた皮であんをくるんだこともあるんですが、あれもどうもいま一つパッとしませんでした。

ひとりでもぐもぐ、なんだか物足りない気分で手抜き餃子を食べていると、「手抜きをするからあかんのや!」と天の上から怒られたような気がしました。

あれはなんなのだろう。神様? 理想のじぶん? ご先祖様?

ひとり暮らしが長くなってくると、人間以外のなにかと対話することが増えてきます。

いずれにしても、手抜きをしたのもじぶんなら、食べるのもじぶんです。だれかにふるまっているわけでもなし、なんでそんなことで怒られねばならぬのか。

「言うだけやったらだれでもできる。そんなん言うなら皮包んどいてくれ」

と天の声に言い返しながら、むなしい料理をもぐもぐ。

しかしあれはやっぱり、手抜きをしてなんちゃって料理にして栄養だけ餃子に似せてもダメで、丁寧に皮で包んだひと粒こそが完全栄養食なのだなあ、と思った次第です。

レクタングル大広告




よろしければシェアお願いします!

レクタングル大広告