いまさらだけど野菜の残留農薬って安全なの? 危険なの? ほんとうのところ、どうなの?

農薬が安全なのか、危険なのか。

これはいちおうぼくの現場感覚の話です。専門的な話もしますがそっちは受け売りですし、かならずしも正確性は保証しません。

最終的に現場としてこのように感じている、という話なんですが、まず結論から言えば、農薬は安全と考えてほしい、と言いたい。

この場合、安全とはなにか、という話になります。

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安全を担保する土台(制度)があるかどうか

たとえば、高所作業をともなう現場仕事の作業場に「安全第一」という看板が立てられているのは、見かけたことがあるかと思います。

あの場合「安全」と書いているけど、その仕事は危険です。危険な場所で働いているのに、なにが安全なんだというと、これは危険なものだからこそ、安全を心掛けましょうという話です。

その場合、作業員が「おれは健康でバランス感覚もいいから安全帯なんかつけなくても安全に作業ができるんだ!」といって高所作業をしていたらどうでしょう。

当然そんなことは許されないし、その人がどんなに安全を主張しても、作業場の安全性は担保されません。

その場合、会社の規約などで、「作業員は安全な作業をするために、全員がかくかくしかじかの安全対策を怠ることがないようにしてください。それが守れない場合は作業に携わることは許しません」という厳密なルールを定める必要があります。

きっちりしたルールに従うこと、それに従わない人を作業に従事させないことで、周囲の人も認める安全性が担保されます。

農薬もおなじなんです。

けっこう最近(平成15年)までは農薬使用の制度がザルで、やりようによってはいい加減な農薬の使い方がまかりとおるような状況だったのが、厳密に管理されるように制度が改正されました。

これによって農家は厳密なルールにしたがって農薬を使用しないと野菜が出荷できないようになり、消費者は安全な農産物が食べられるようになっています。

農薬使用制度の革新

農薬の使い方については平成15年にポジティブリスト制度というのが発足して、これによって劇的な変化を遂げました。

それまではいわゆるネガティブリスト制度で農薬の管理がされていたのですが、農家の裁量でいくらでも農薬が使用できていたのです。

もう少し具体的に言うと、「超えてはならない農薬の残留値リストにない農薬の残留は規制できない」という仕組みになっていたのです。(http://www.greenjapan.co.jp/nose_positivelist.htm より)

ポジティブリストのポジティブというのは、われわれがふだん使う場合は「前向きな」とか「明るい」というような意味で使うと思うんですが、この場合は「明確な」とか、「実証的な」という意味合いを持ちます。

ネガティブリストのネガティブは、この場合「禁止的な」とか「消極的な」という意味合いになります。

ネガティブリスト制度の時代は、「この野菜にこの農薬を〇〇以上は使ってはいけない」という、禁止項目を並べていて、そこに書かれていないものはいくらでも使えるという抜け穴ができてしまっていました。

だから、たとえば牛乳を薄めて散布してアブラムシ対策にするとか、そういう民間で使われるような農法も制限できないし、もう少し危険な例でいえば、「農薬は危険だから、木酢液を薄めて虫害を予防しよう」なんてことが行われていたりもしました。

木酢液というのは、木を燻したときに出る煙から抽出した、酸度の高い液体のことで、これには多くの有害な化学物質やタールが混じっています。こんなものを、自然由来で農薬よりも安全だといって勧めるような人もいたのです。

これがポジティブリスト制度になってからは、「この野菜にはここに書かれてある農薬のみ使ってもよい」というルールに変更されました。

使ってはいけない(ネガティブ)ことを並べるのではなくて、使ってもよいもの(ポジティブ)だけを厳密に定め、それ以外のあらゆるものは使用禁止というわけです。

当然牛乳もダメだし、木酢液もダメです。農薬登録されていて、その野菜に使用できる農薬しか、使ってはいけないのです。

これによって、民間でおまじないのようにして行われていたような、安全か危険かもわからないようなものを野菜に振りかけることはできなくなりましたし、農家の判断でいい加減な農薬の利用をすることもできなくなりました。

もし登録農薬以外のなにかが検出されれば、規制の対象となります。

農薬を気にする消費者が減った理由

ポジティブリスト制度になる以前は、農薬は危険だと消費者は考えていたし、実際さっき言ったような理由で、自分の食べる野菜にどんな農薬が残留しているかはっきりしないという危うさもありました。

そんな危険な時代には有機農法がもてはやされていて、うちの隣の市でも村をあげて有機の里と標榜して、安全な野菜作りをしようと努めたりしていましたし、そういう取り組みに対する消費者の関心も高かったのです。

ところがこの有機農法もJAS認証で管理されて、認証制度に通っていないものは有機野菜を名乗ってはいけないということになります。

さっきもいったとおり、無農薬有機農法と称しながら怪しげななにかを散布するようなことは否定できないし、実際にそういったことが横行していたからです。

いわば「自称無農薬」というようなことは認められない、というのは当然のことでしょう。

この認証制度は個人農家が取得するにはハードルが高いので、一気に有機農法は下火となりました。

そのかわり、「特別栽培農産物」の認証が最近では主流ですね。その地域の慣行農法より5割以上農薬の利用を減らした作物を栽培し、各地域の認証センターで確認してもらって、流通させるというものです。

あと、直売所などで無農薬で栽培したということをアピールしたい場合でも、断られることが多いですね。第三者機関による評価がない場合、それを証明できないからです。

もし書く場合でも「無農薬です!」みたいなシールを作って貼るのはダメで、「栽培期間中無農薬」と書いてください、と言われます。

最近そういえば残留農薬の話をあんまり聞かなくなったな、と思う人もいらっしゃると思うんですけど、令和元年からみればたった15年ほど前にこのような革新的な取り組みが行われて、農薬使用に対する厳密なルールが定められたという経緯があったのです。

このような改善によって、農家による恣意的な解釈のゆるされない、安全性の高いが高く、人間が一生食べ続けても健康に影響のない農産物が食べられるようになっています。

少し、こんな考え方をしてみよう

しかし、現代にいたってなお農薬云々を過剰に気にすることは、じつは少しナンセンスなのかもしれません。

というのも、頭ごなしに「農薬はダメだ、危険だ」と過剰反応する人の多くは、さっき述べたような経緯も知らず、ただ「農薬は危険」というイメージだけで批判しているケースが多いからです。

人生100年時代といわれますが、いま日本人の平均寿命は84歳に届きました。

2019年から84年前というと1935年。太平洋戦争がはじまるより前です。

これらの人が、今の超高齢社会を形成しています。

それを前提に考えてほしいのですが、農薬の危険性は昔にさかのぼればさかのぼるほど高まります。

よく知られているのがDDTです。

戦後に衛生対策で、進駐軍が、頭のシラミを殺すために日本人に直接DDTの粉を振りまいている、という描写をみかけたことはないでしょうか。

あれは農薬としても利用されており、当時は安全性が高く、よく効く優秀な殺虫剤として認められていたのでした。

ところが後年になってDDTに発がん性が疑われるようになり、さらに成分の安定性が高く(環境の中にずっととどまることで)環境汚染につながり、生体濃縮も起こるということで、世界中で禁止の流れが加速します。

このように農薬は効果が高いものでも、危険だとわかれば使用が制限されたり禁止されるといった改善が今までずっと行われています。

ところで今の高齢者は高度経済成長にさしかかる段階で、いわゆる四大公害(水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく)といった人体に深刻な影響をおよぼした問題も経ています。

昔にさかのぼるほど、ありとあらゆることが今よりも危険だったわけです。

われわれが現在、安全な食品が食べられたり、公害によって命が脅かされるようなことにならないのは、先人たちが次世代の人間におなじ轍を踏ませないように不断の努力を続けてくれたからです。

そしてそれら努力の恩恵もひとつの要因として、危険なものの多かった時代を乗り越え、日本は世界でもトップクラスの長寿国となりました。

「だから農薬は安全だ」という論拠にはならないけれど、今平均寿命以上に長生きしている人のほとんどは、少なからず残留農薬のついた野菜も食べていただろうし、彼らが若いころに今では禁止されているような危険な農薬が出回っていたのです。

そのように考えた場合、今を生きるわれわれが、今よりももっと農産物の危険性を減らしていこうと努力し、取り組みを続けていく以上、必要以上に農薬をおそれる必要はないのではないかと思うのです。

心配によるストレスと、現在流通する農産物の危険性を比べた場合、あまり神経質になりすぎるとストレスのほうが「毒性は高い」かも……といったら、少し悪質なジョークということになるでしょうか?

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