なぜツイッターではみんな口汚く罵るようになってしまうのか

政治的なことに興味のない人には、とっつきづらい記事になるかもしれませんが、まあ書いていきましょう。

先日、保守で共和党支持者だったクリントイーストウッドが、民主党支持に鞍替えするということがニュースになっていました。

https://www.afpbb.com/articles/-/3269745

トランプ氏の業績について一定評価した一方で、昨今の米国における「下品な」政治の劣悪で醜悪な性質に失望していると語った。さらにトランプ氏について「ツイートをするのではなく、人を名前で呼び、より上品な」態度を取るべきだと指摘した。

アメリカは「共和党=保守」「民主党=リベラル」というイメージがあります。

なので、強固な保守支持者であるクリントイーストウッドが民主党を支持するということが、ニュースになってしまうのです。

彼はブルームバーグを支持するということでしたが、引用部分のトランプに対する指摘は的を射ています。特にTwitterをやめなさいという指摘は正しい。

トランプの発言が下品で感情的であるという一面は、政治的手腕とはまったく別の不快感を与えています。

最近の日本でもそうですが、政治的な主張をする際に、ネットやテレビで他者を必要以上に口汚く罵り、こちらの神経をわざわざ逆なでするような人が増えています。

もちろん、そういった態度はリベラルにも多くいて、個人的には「どっちもどっち」だと思うのです。

しかし、そもそも革新派がねずみのようにキーキー騒ぐのは世の常です。本来どっしり構えていなければならないはずの保守が、ぎゃあぎゃあわめいているのを見るのはじつに見苦しい。

きっとそのような保守の凋落ぶりにクリントイーストウッドはあきれたのだろうと思いますが、じゃあ、どうしてトランプはあのように下品な言葉遣いをしたがるのか。

これはごくカンタンで、かつ蟻地獄のような仕組みにはまっているのだと言わざるをえません。

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短文で人にものを伝えたい場合、どうなるか

たとえば路面標示の一時停止での「止まれ」は、なぜ命令形なのか。

あれは、「止まってください」でもダメで、「一時停止」でもダメ。「かくかくしかじかの理由で止まってください」というような標示にもできません。

つまり、文字数を徹底的に絞って言うべきことを伝えなければならない場合、その言葉は必然的に上から目線の命令口調になってしまうのです。

きつい口調にしないと、人に伝わらないんです。

これはもう絶対的な法則のようなものです。丁寧語でケンカをする人はいません。

「しばくぞ」

「ボケ」

「だまれ」

「アホが」

こういった短くて相手の心に刺さるような言葉を使うことで、インパクトを与える。

こういった言葉遣いがもっとも映える場所があります。

それは、Twitterやヤフコメなどのネット言論

昔は2ちゃんねるが匿名のネット言論だったわけですが、あれもやっぱり汚い言葉が飛び交っていましたね。

最近はTwitter、Yahoo!ニュースのコメントなどが置き換わってます。

ぼくはあれは言論もどきだと思っていて、なぜ巨大なテレビメディアがしきりに、Twitterのどこのだれかもわからないようなコメントを、街の声として取り上げるのか、ああいう態度はダメだなと常々思ってるんですけどね。

放送局からしてみれば、最初から番組が伝えたい恣意的な方向性に沿ったコメントを探して取り上げればいい、と単純に考えていたのかもしれません。

ところが結局、テレビメディアもネット言論を言論として認めてしまった時点で、蟻地獄につかまってしまっているんです。

ちょっと話が脱線しましたけど、Twitterやヤフコメの共通点は、「短文で人に伝わる文章をまとめあげなければいけない」という点です。

そして、短文で人にしっかり伝わるようにコメントをしようとすれば、より暴力的で過激で、命令口調で尊大にならざるをえません。

ところで最近、京都大学のウイルス・再生医科学研究所の宮沢孝幸さんのTwitterがメディアで大きく取り上げられていました。

なぜ大きく取り上げられたのかというと、今回のコロナウイルスについて、伝えたいことがあったけれど、丁寧に述べても相手に伝わらず、途中で非常に過激で暴力的な文言に変えたところ、それぞれのツイートが「バズった」というのです。

メディアに登場した宮沢さんはいたってふつうの紳士でしたが、いざTwitterで何かを緊急的に伝えなければいけない場合は、わざわざ炎上を招くような書き方をしなければ伝わらなかったのです。

今宮沢さんのTwitterの過激な文言は削除されていますが、これはなにを意味するか、ぼちぼちみなさんも理解できてきたのではないでしょうか。

そもそもTwitterという道具が、路面標示的側面を持っていたということ

ぼくは最初に、なぜトランプが口汚く罵るのかということに対して、ごくカンタンで、蟻地獄のような仕組みにはまっていると言いました。

そして、クリントイーストウッドの「Twitterをやめるべき」という指摘を正しいと言いました。

実は、Twitter自体が、短文でしか伝えられない媒体ゆえの路面標示的側面を持っていたから、トランプはあのような暴力的な発言を繰り返さざるを得ないのです。

トランプが暴力的な人間なのではなく(と断定できるほどぼくはトランプのことを知りませんが)、Twitterを利用して発信する以上、大きく伝えたいことは必然的に暴力的に伝えざるを得ない。

そういう道具(Twitter)を使っていることが問題なのです。

では、Twitterをやめればトランプの暴言はおさまるのか、というと単純にそうだとはいえません。

われわれ情報を受け取る側が、じっくり考えるトレーニングをしなければならない

われわれはすでに、ものごとをごくカンタンに理解したがりすぎています。

じっくりと、遠回りしながら考えることを嫌がって、すぐに答えを探し、得られた答えを疑うことをせず、一面からだけ見て満足している。

そのようなわれわれの行動パターンは人類の普遍的な態度だと思うのですが、これに対してネット上のSNSはよく「マッチしていた」わけです。

個人的な話ではありますが、ぼくはこの数か月、Twitterで発信する必要性は感じながらも、Twitterとの距離感をつかみあぐねていました。

そういう逡巡はこれまでもずっと繰り返していたのですが、今回の記事を書くに至って、よく理解できたというか、少なくとももうじぶんからTwitterで発信するのはやめようと決めました。

といっても、Twitterから情報を受け取るのは、悪いことだと思っていなかったりします。

ただ、以下のような傾向に対して、きちんと自衛して対策をとる必要があるのです。

  • 路面標示的な命令的で過激な言い方でなければ伝わらないといって、そういう方法を駆使している人が、特に政治的なアカウントに多いということ。
  • 炎上をわざと狙って、商売に利用している人がいるということ。
  • われわれ情報の受け手は、しばしば上記のような感情的な意見に反応してしまう生き物だということ。
  • これらの問題点は漫然と情報に当たっているとどうしてもはまってしまう蟻地獄であり、情報の受け手としてだけではなく、参加する側も、Twitterのようなメディアではその轍を踏まざるをえない局面がしばしばあること。

これらの傾向は、じつは最近のテレビメディアでもさかんにみられる光景だったりします。

たくさんのコメンテーターが並んで、相手が発言している途中でどんどんじぶんの意見を上乗せしていくというような丁々発止の議論の場では、しばしば発言は過激で攻撃的になっていきます。

じぶんの言葉を短い時間で簡潔かつインパクトのあるように伝えようと思ったら、感情的で命令的な口調になるしかないからです。

発言しようと思ったら「より過激に、よりインパクトのある話を」という流れに乗らざるをえないわけで、あれはやっぱり蟻地獄としか言いようがない。

身もふたもない言い方をしますけど、人間ってそういうのについついはまっちゃう生き物なんだと思います。

まとめ

漫然と情報に当たっていると、われわれはつい炎上しているところへ乗っかっていってしまう、野次馬になってしまうわけですが、そうならないようにしたい場合、われわれにはふたつの方法があります。

ひとつは、じぶんの努力や鍛錬で、そういった情報に対して無神経でいられる耐性を身に着けていくこと。

もうひとつは、嫌気がさすとわかっているのだから、もうそのような場の参加者にはならないこと。

ぼくは後者を選んで、Twitterでは傍観者となって、じぶんの言論はじぶんのペースでブログで書くようにしようと決めました。

前者を選ぶのも自由ですけど、やっぱり相応にメンタルマッチョでないと務まらないな、と思うのです。

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