わたしは選ばれた者である。
北の大地へと向かっていたが、そのためには広大な湿地帯を抜けなければならなかった。
しかしわたしはついに、この湿地の底なし沼にはまってしまったのだ。
諸君、先に言っておこう。わたしはこの底なし沼に沈んで、死んだのだ。
未練がましい話だが、死んでも死にきれず、こんな形で諸君に思念を送っている。
選ばれた者のわたしが、まさか底なし沼にはまって死ぬとは思ってもいなかった。
もし死ぬにしたって、もっと物語がクライマックスになってからだろう、と思い込んでいたのだ。
漠然と、なんとなく、自分なら大丈夫だろうと思っていた。
諸君もまさか、こんなしょうもないところで主人公が死ぬとは思わないだろう。
世界中の冒険書をかき集めても、主人公が冒険の途中で底なし沼にはまって最期を遂げるなんてことはかつてなかったはずだ。
よしんばそんなことがあっても、次の瞬間には「ああ、しんでしまうとはなさけない!」といってたたき起こされるのが常識じゃないのか。
わたしは諸君以上に自分の無事を信じ切っていた。
うかつだった。じつにうかつだった。
さあ、わたしの最期のときについて話そう。
わたしは湿地帯の途中までは順調に進んだのだが、茂みに足を踏み入れたとたん、腰まで浸かりこんでしまった。
悪いことにそこは窪地になっているのみならず、長年にわたって植物や微生物が堆積して、泥状になっていたのだ。
一度足をいれると、もう泥の重みにまとわれて抜け出しようがなかった。
わたしはあっけなく、ずぶずぶと頭まで泥に埋まってしまった。
それでもわたしはまだ、余裕があった。どうせ助かるはずだと思っていたのだ。
なので、底なし沼に頭まで埋まったときに、片手を沼の上に突き出して、「いいねサイン」をしてやった。昨今流行りのSNSにある、アレだ。
ついでに「アイルビーバック」と言おうと思ったが、発した言葉は泥沼の泡にしかならなかった。
はんぶんは冗談だが、はんぶんはほんとうに、すぐ戻ってこれると思っていたのだ。
それで、なす術もなく沼の中でじっとしているうちに、さすがに苦しくなって、余裕がなくなってきた。
わたしはふと、こんなことを考えた。
底なし沼というが、ほんとうに底がないのだろうか。底なし沼の底はどこにあるのだろうか、と。
考えたのはいいが、一刻も早く行動に移さねば息が尽きてしまうので、わたしは底なし沼の底へ向かって、もがき始めたのだ。
諸君はきっと、なんというバカなことをしたのか、と思うだろう。しかし何度も言うが、わたしは死ぬ気などこれっぽっちもなかった。
それに、こういうときにはたいてい、底なし沼の底から地底世界に行けるというようなことが起こるものだ。
何度でも言うが、わたしは選ばれた者である。この底なし沼がたまたま地底世界の入り口だという、ご都合主義があってもまったく不思議ではない。
地底人と交流を深め、仲間を増やし、そしていくつかの難題をクリアしながら、地上に抜け出てくるというのがストーリー的にはちょうどいいだろう。
わたしはちゃんとそのへんのことまで、考えていたのである。
息のできないパニック状態の中で、わたしは必死で底なし沼の底を探した。
文字通りの必死だ。残念ながら結果的にも「必死」であったのだが。
もがきもがいて、どれだけ経っただろうか。
結局、沼の底はふつうに見つかった。
わざわざもがいて探さなくても、自然と落ちていたほうが早く見つかったんじゃないかと思う。
わたしは「バカ野郎、底あり沼じゃねえか」とつぶやいたが、その言葉も泡となり、それが最後の息となった。
諸君、これが選ばれた者であるわたしの最期だ。
気を付けたまえ、いかに自分が特別な存在であろうと、わたしたちは死ぬときは死ぬ。
ゆめゆめ、自分を過信せぬことだ。日常、どこに底なし沼があるやもしれぬ。注意して暮らしたまえ。
死んでから、わたしは選ばれた者だったと言っても、説得力もなければ、笑い者にしかならぬ。わたしがいい例だ。
諸君にはぜひわたしの屍を越えていってもらいたい。といってもわたしの屍は沼の底にあるから、越えるというよりは、泳ぐのが正しいのだろうか。
いや、そんなことをしたらみんなも沼にはまってしまうからよくないな。
無理して越えなくてもいいから、もうとりあえずあの屍はそっとしておいてくれ。
ああ、しょうもないことを話してる間に、そろそろわたしの思念もこの大宇宙のエレメントになるときが来たようだ。
諸君、さらばだ。じつに残念だが、仕方ない。
わたしは確かに、あの何億という生殖細胞の中からたったひとつ選ばれたはずだったのに。